トーマス・ルフ展|写真を撮らない写真家の大規模展

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11月13日までトーマス・ルフ展が開催中ですが、9月9日に本展企画学芸員による夜のギャラリートークがあったので参加しました。展示されている18シリーズの中から10シリーズについて解説がありました。写真というメディアを使ってはいるものの、一言で写真と言えないような作品が多い作家を理解する上で、とても参考になるトークでした。金曜夜の開催ということもあるのか、とても盛況でした。

内容を覚書します。

Porträts

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客観的にカメラを使った、ニュートラルなポートレイトで、〈こうしたら、どう見えるか〉という作家の問いから生まれたシリーズ。

これまでの人物表現(斜めからの光、背景など)を排し、かつ、巨大な作品にしています。1986年から1988年の作品が展示されており、被写体は当時の学生仲間。ルフ解説では度々紹介されますが、巨大にした理由(小さなサイズで発表した際には、これは誰それだね、という感想が多く、誰も写真がどうかということに触れなかった。巨大にしてみたら、誰それの写真だね云々、と写真について語るようになった)に、大きく頷いてしまいます。

ポートレイトは写真から見つめ返されているような錯覚を覚えることもありますが、この作品は不思議と見つめられている感がしません。それは、この作品が証明写真的で、見る人が一方的な眼差しでみているからでは、という学芸員の指摘を聞いて、腑に落ちました。

negatives

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ネガフィルムのことですが、子どもに「ネガって何?」と聞かれたのが制作のキッカケだそうです。

古い鶏卵紙の写真を手に入れ、スキャンした画像のネガ画像をつくり、プリントしたもの。

ネガは見慣れている人でないかぎり、じーっと見ても写っているものが何かを正確に認識できませんが、今はネガポジ反転できるスマートフォンアプリがあるとのこと(私も初めて知りました)。実際にスマートフォンをかざして表示された画像をみると、ネガでは女性だと思っていた人物が髭面の男性だったなど、想像と実際のギャップに驚かされました。

余談:iPhoneであれば、LomoSccanner2が簡易ネガビューワーになるらしい(試してない)。

Nächte

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暗視スコープを取り付けて撮影した街中(デュッセルドルフ)の写真。

湾岸戦争のときに、米軍の暗視スコープからみた映像?をテレビニュースで見た記憶は私もありますが、そこから着想を得たそうです。

写真からは暗視スコープ部分が丸くなっているのがわかり、正方形にプリントしてあり、スナイパーの視線にも思えてしまいます。そういうイメージを私たちは映画などから事前に植え付けられている、ということを気付かされます。

jpeg

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インターネットでダウンロードした画像を拡大してピクセル状にさせた作品。

遠くで起きた出来事でも、リアルな経験として記憶されている画像もあれば、何なのかわからないものもありました。

シリーズから気付かされることとして、以下の2つを挙げていました。

  • ありとあらゆる光景が居ながらにして見ることができる今の状況
  • モザイク状で至近距離だとわからなくても、10メートルくらい離れると普通に見える

ちなみに、911の画像を採用した理由も述べられていました。曰く、当時ルフさんはニューヨークにいたそうで、実際に街中を撮影したそうです。ところが、ドイツに帰宅後現像してみたら全く何も写っていなかった。しかしインターネットには様々な画像があったとのこと。

なお、2000年代から自分で写真を撮らず、なんらかの方法で入手した画像で作品作りをしているルフ氏。従来の写真家でも撮影からプリントまで、作家が必ずしも一貫生産するとは限らないので、であれば、撮ること以外を自分でやる、という人がいてもいいのではないか、という考えに至ったようです。

ピクセル化が凝っていて(6センチ四方のピクセルの中にさらに64個のピクセルが入っている)、見とれました。ピクセル化に見とれたと言っても、このような出来事の写真なのに見とれている自分はどうなのだろう、という後ろめたさは感じます。このあたり、『津波にさらわれた後の写真だけど作品として美しいと思ってしまい、後ろめたさを感じる』にも通じるもので、個人的にちょっと考えたいです。

Substrate

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インターネット上でみつけたアダルトコミックの画像を重ねたり、加工を加えたりしたもの。

インターネット上のイメージの背後には0101のデジタル信号しかない、美しい色彩の背後にあるものは0101のデジタル信号、という暗喩があるとのこと。
色彩がとても美しく不思議な画像ができてしまうものです。

zycles

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写真も画像も使っていない作品で、ある数式を使ってプログラムで生み出された曲線をインクジェットプリンターで印刷したもの。

Substrateと同じく、美しい曲線の背後には数式しかない、という暗喩が。

Photogram

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フォトグラムはカメラを使わず、印画紙上にモノを乗せて露光させて作る作品。そのフォトグラムをデジタルでやってしまったシリーズ。

プログラムをさらに発展させ(ちなみに専門家がいるそう)、コンピュータ上でフォトグラムをつくり、プリントしたもの、という、どう考えても理解できないものでした。ただモノをフォトグラムする(そんな言い方ないか)のとは異なり、バーチャルだとカラーのフォトグラムができるところが凄いと言わざるを得ない感じで、作品作りを実際にみてみたくなりました。

Sterne

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巨大なポートレイトシリーズは人を客観的に撮影した作品でしたが、このとき『客観的』と言っても、実際には、「正面を見て」、「笑わないで」、など被写体に働きかけないと客観的には撮れません。

では、究極の客観的撮影は?の答えが、星雲の写真ということでした。
さらに、クオリティの高い天体写真にしたかったため、天文台のアーカイブを借りたとのこと(=自分で撮影していない)。

写真には、撮影したときに目の前に広がっていた瞬間ではなく、何百年前の星、何十万年前の星、何億年前の星が同時に収められている、とトークで改めて聞いたものの、あまり成る程とは感じられませんでした。

個人的には、この写真をみると、タブレット端末のホーム画面にみえてしまうのですが。

ma.r.s.

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NASAの火星探査船が撮影した画像に着色、加工したシリーズで、3Dにしたものもあります。

NASAのサイトで研究者用にダウンロードできるとのこと。このシリーズでは、地表の斜め上から見たように加工していて、火星の風景写真と言えなくもないです。ちなみに、実際には、地表に対して垂直にして撮影されているようです。

いずれ人を火星に送り込みたい、そんな目的で火星探査を続けているのでしょうか。であるならば、将来の宇宙飛行士が見るであろう、未来の風景写真ではないか、という指摘がありました。

上記写真の3D ma.r.s.は3Dメガネをかけると、火星のクレーターが超盛り上がって、純粋に楽しめて、モノはそこにないのに、モノのすごさを感じました。が、こんなにスペクタクルに見ていいのだろうかと後ろめたさを感じました、大人的に。子どもには写真の面白さの一側面として知ってもらえるといいな、と思いました、大人的に。

press++

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新聞に使われた写真の元となった紙焼き写真で作られたシリーズ。

昔はデジタルではないので、紙の写真の裏面に、何を撮ったのかの説明、トリミングや縮尺の指示が書き込まれ、記事になった後は新聞の切り抜きを貼っておいたりした模様。その両面をそれぞれスキャンして、重ね合わせた作品。

シリーズの発端は、アメリカの新聞社アーカイブをインターネットオークションで入手したことによるもので、2015年からスタートした新しいシリーズ。

今回の日本の展示のために、4点新作がありました。美術館と共同主催の読売新聞社の1960、70年代の未来的技術の報道写真からセレクトしたものだそうです。

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上記写真は、1970年開催の大阪万博のロボットの写真。新聞紙上の小さなサイズの写真になった際にもモノがわかるように手書きで影や柵の輪郭などを書き足したり、いわゆるレタッチをしていた、そんなことも大きな作品になると気づくことができます。

トークでは、写真考古学的な作品と言える、と語っており、jpegシリーズと補助線を引いても面白い、とのことでした。ニュースメディアの昔と今という観点でしょうか、今の私には、自分で考えるには難しい気が。。。とはいえ、他の参考文献も参照しつつ、補助線の先を知りたい気がします。

所感

写真や映像の種類(証明写真、モンタージュ、新聞とか)を網羅的に採用して、最終的に完成度の超高いアウトプットに仕上げるのですが、網羅的かつ完成度が高いのが、さすがドイツという感じです。

これほど完成度の高いアウトプットを見ると、私も写っているモノなんて何でもいいからとにかく最終的な見た目がアーティスティックな成果物を作りたい、と安直に思いました。

とはいえ、やってみたらこうなったという試行錯誤があって各シリーズの作品が展示されているのだと思うので、ぱっと見簡単そうなのでやってみたいと思うのは安直だし、だけどそう思わせるところはすごいと思いました(ミュージシャンでも上手い人の演奏は簡単そうに見えるし)。

また、作品制作に一切前提がなく、自分で撮影したシリーズでも(ここでは掲載していませんが、建築物を撮ったもので)邪魔な部分は消す、複数重ねるなどして、自分にとって完璧な映像を追求する姿勢は本当に見習いたいと思いました。

前提のなさは、高松次郎を彷彿とさせました。例えば、ルフのzyclesのプログラミングに描かせた曲線というのは、高松次郎のキャンバスの大きさや形が描かせたという「平面上の空間」シリーズにも通じるものがあると実感しました。写真で何かを作ろうと思った時に、ここまでのレタッチはありで、これ以上はなし、など自分で制約を設けたりしますが、これっていわゆる『前提』じゃないの?と改めて思わされました。そんなことがわかった展覧会、得るものはとても大きかったです。

■トーマス・ルフ展
会期:2016年8月30日〜11月13日
開館時間:(展覧会サイト参照)
会場:東京国立近代美術館
入場料:1600円
展覧会サイト:
http://www.momat.go.jp/am/exhibition/thomasruff/
特設サイト:
http://thomasruff.jp/