[講演] 椹木野衣トーク&レクチャーシリーズ「震災から5年 気仙沼 リアス・アーク美術館とDon’t follow the wind から考える未来を担う美術館と展覧会」

3月1日に青山ブックスクールにて開催されたトーク&レクチャー。気仙沼のリアス・アーク美術館の学芸員・山内さんも、トーク仕切りの椹木さんもお話を聞くのは初めてでしたが、山内さんの熱のこもった語りと椹木さんの壮大なプロジェクト・Don’t follow the windのお話を受けとめるだけで精一杯。

事前に聞きたいことがどうでもよくなってしまう濃い内容でした。

トーク内容から、リアス・アーク美術館に関する覚書、Don’t follow the windに関する覚書、トークの雑感の順に振り返っておきます。

なお、リアス・アーク美術館の常設展の東京での紹介展示は、3月21日まで目黒区美術館にて開催しています。震災におけるマスコミの映像で嫌な思いをした人にこそ見て欲しい、そんな内容です(展示の感想はこちら)。

ちなみに、震災前の南三陸の描いた、映画「波伝谷に生きる人びと」の推薦文を山内さんが書いていて、それが山内さんの存在を知ったきっかけでした。震災前をフィルムのネガとポジに例えた文章はすーっと腑に落ちるものでした。

 

気仙沼リアス・アーク美術館についてのトーク覚書

○山内宏泰さん

  • 学芸員が多くの場合、文学部哲学科とか美術史専攻であるが、山内さんの場合は毛色が違う(立体の作家業)
  • 立体の作家をしていて、人間はどのようにできているのかをテーマにしていた
  • その実践をする中で、人間は環境によって作られるものだという解が導き出された
  • 環境とは風景、風景(=文化の総体)が人をつくる

○リアス・アーク美術館

  • 1994年開館 意匠設計性が高い美術館で船をイメージしてデザインされた
  • リアス式海岸を臨む箱舟
  • 鉄板や異なる素材を結合して作ったもので、それが災いしたのか震災で大きなダメージを受け、人を入れられない状況に
  • 震災前の2006年に明治の三陸大津波の展示を行ったが、住民の関心は低かった(当時99%大震災が起きると言われている最中なのに)

○常設展示「東日本大震災の記録と津波の災害史」

  • 客観的な博物館資料展示ではなく、主観的記憶の共感展示を目指した
  • 人を動かす展示、未来に生かされる展示
  • 被災現場写真の展示のキャプションは日付と場所だけでなく、どんな風だったか記憶から蘇らせた感想を記載
  • 被災物には創作のストーリーをつけた(地元民の意見では、「これは俺のストーリーだ」と思っている人が多い、とのこと)
  • 震災をめぐるキーワードの解説は、まちがった表現を正して、再定義したいとの思いから
  • キーワードは、縁遠いと思った人でも思考できるように心がけた
  • 椹木さん曰く、この手法が日本の美術館のあり方にヒントを与えるものではないか

○学芸員としての意識

  • 若手作家の展示に際しては、個人の思いよりも、あなたは地域住民に社会的に還元ができるのか、と問われた時に答えられることに重きをおいている
  • 数字で表すことに危険性を感じている(2006年の明治津波の展示の際に、当時の風俗誌に掲載されていた死者数27122と同じくらいの紙の人形を作り、60x60cmの展示台を30個使う展示となった
  • 従来、常設展は企画してコンペを行い外部に外注することが多かったらしい(地域住民からは最悪の評価)
  • 最悪の常設展を平成13年に解体して、研究家にとってだけの展示ではなく、地域の人にとっても見応えのある展示に変えていった

Don’t follow the wind覚書

○椹木さんと東日本大震災

  • 震災と芸術を最初から考えていたわけではない
  • 山内さんとは震災前から面識はあったが、震災後に青森県美術館から、被災美術館に対する協力体制を作りたいとの要請があった
  • リアス・アーク美術館に2011年5月に赴き、震災が生々しいものとしてつきつけられた
  • 日本において美術館とは何かという問いが現れた

○美術館の問題

  • 美術館は美術品を保存することが目的であるが、意匠設計性が強いリアス・アーク美術館の被災状況を見て、美術館建築はどうあるべきなのか考えさせられた
  • その問題とは別に、収蔵品管理の面で言うと、空調によって収蔵品が守られるが、電源の復旧に関しては、大災害があると美術館の優先順位が低くなってしまう

○Don’t follow the wind

  • 福島県双葉郡の帰還困難区域において、キュレーター3人、作家12組を、それぞれ国内外から迎え展示を行っている
  • バリケードの中なので展示はスタートしていても今は公開できていない
  • 3年後なのか、10年後なのか、30年後なのかわからないが、見に行くことを目指している
  • 展示に至るまでには、元住民に説明をし、協力者を増やしていって、住居、店舗や倉庫、公的機関の建物などを展示会場として貸してもらう交渉を重ねた
  • 展示のずっと以前に山内さんから手紙で「問い」をもらい、それに答えることができなかった
  • このプロジェクトが山内さんへの答えになっているのではないか

雑感

2月20日に目黒区美術館でリアス・アーク美術館常設展の展示をみた10日後に、このトークがありました。その間もやもや感じていたことが多少言語化されました。言語化されただけにすぎませんが、そのあたりを覚書しておきます。

美術鑑賞はスノッブな遊び?

今回のトークにも出てきましたが、リアス・アーク美術館の常設展は、「東京にいて美術に囲まれていると出会わない」ものです。SWITCH誌のDon’t follow the wind関連の対話にも同様な言い回しがありました。

今回のことは、アートの世界でしばしば行われる「与えられた制限の中で行う知的ゲーム」のようなものではありません。不幸にも起きてしまった制御不能の現実に、多くの人が反応し、関わり続ける形を探るものだと考えています。

また、「これまで語ってきたことは所詮スノッブな遊びみたいなものだったのではないか(注:細かいニュアンスは覚えていない)」というアーティストの発言を耳にしたことも記憶しています。
作品を鑑賞する側としては、新たな知的興奮を経験できることが喜びでもあるので、上記の発言は多少ショッキングに響きます。その一方で、愛好家たちだけで知的興奮を楽しんでいる状況、無関心な人たちに来てもらわなくても人口が密集している東京だから成り立つという状況に私自身が気づいていなかったのか、と思わされました。

楽しみたい人だけが楽しめればいいんだ的な傲慢な態度にも思えてきて、これが「スノッブな遊びみたいなもの」なのかもしれない、と思いました。

地域の公立美術館について

山内さんのお話の中で「100年後にもし100年前の気仙沼の風景を描いた絵が展示されていなかったらヤバイのではないか」というものがあり、あっと思わされました。美術館としては、美術品として収蔵するのに見合うものを収蔵するのだとは思うのですが、それだけではない役割が地域の、特に公立の美術館にはあるのかもしれない、と初めて気づきました。これは気仙沼に限ったことだけでなく、東京の区立や市立美術館もそうかもしれません。

私も自分の地域の公立美術館に関心を持たずにいましたが、自分が見たい、見たくないではない観点だと、私が見てきた町の様子を未来の誰かに見てもらいたい気はします。古くて小さな店舗が密集していた飲屋街、高架になっていた小さな駅舎、地下化する前の踏切などなど。そういう役割は既に共有されているのかもしれませんが、地域の美術館にはそういう観点でも活動して欲しいと思いました。まあ、結局言ってるだけじゃだめで、見に行くとか、意見を言うとかしないといけないのかもしれませんが。

今回気づいたことは今後も考え続けます。