埼玉県立近代美術館で開催中の今注目の展示、昨日やっと行ってきました(9月6日で終了です)。家でも外でも映像に囲まれている今だからこその問い、展示会場ならではの物質性に触れることができました。見るまでのこちらの想像をはるかに超えた凄いものを見て、今もそのイリュージョンの中にいるような感じです。
牧野貴、Nerholの作品に取り憑かれてしまったので、両者についてのみまとめます。
牧野貴
作家については恥ずかしながら全く知りませんでした。30分の映像作品に驚きました。モノクロなんですよ。だからですかね、どうしても何が写っているかを確認しようとしまうんですね、最初は。ぱっと見雨が地面に打ち付けているような、あるいは池に降り続けているような映像だなとか、次第に色々重なっていることに気づくんですね(どうも200回以上も映像を重ねている模様)。あくまでも私の経験からくる印象に過ぎませんが、木々が風に揺れている、人々が通る様子、スクランブル交差点を俯瞰で捉えているのでは、など想像しながら見てたのですが、思考の流れよりも映像が速いんですよ。だからもう映像に身をまかせるような感じでした。
入り口に減光フィルターが置いてあり、それを左右の目どちらかにあてたり、そのまま見たりして、映像体験を比較できるようになっています。この一枚のフィルターで見るのを発明したというのが凄いです。だってこれでいきなりVRになっちゃうんですよ(いきなりは言い過ぎかも。しばらく見ていると、そうなるんです)。重なったいくつもの映像のレイヤーが走馬灯のように3Dで現れるんですよ。没頭しますよ、これは!またいい意味で音楽が没頭感に加担していました。
映像作品展示室に対面するようににスチルのモノクロ作品が展示されていますが、映像を見る前と見た後ではこちらの印象も変わります。
なお、2015年に発売されたDVD(ミュージアムショップにあり購入しました)の作家のテキストでは、展示で利用している3D視覚効果は1922年にカール・ブルフリッヒが発見したブルフリッヒ・エフェクトというものだそうです。効果自体は昔の発見ですが、今それを利用しているというのは、ある種の発明だと思います。DVDのテキスト(映像作品「2012」に寄せたジュリアン・ロスの文章)によれば、2012年はKODAKとFUJIFILMがフィルムの生産を終了することを発表した年であり、多くの現像所が閉めようとしていたとのこと。また、テレシネ技師としての経験もある作家の、当時の『状況への返答として、フィルムで映像を撮りその物質性を強調させるかのように砂をかけ傷を刻み込んだ』作品が「2012」である、とのこと。
Nerhol
数百枚の連続写真をプリントしそれを重ねて貼り合わせて、カッターやノミで彫っていく手法。剥がされた断面が等高線のように見えて、まるで立体地図のようなのですが、前に見た「Misunderstanding focus」シリーズよりも大胆な作風で驚きました(美術手帖の記事によればこのシリーズは2011年からのようです)。
遠くから見ると百号くらいの油絵なのではないかと思えるものも。切り掘りした隆起も急な箇所もあれば、緩やかな箇所もある。「Misunderstanding focus」シリーズ同様に今回もポートレイトもありましたが、タイトルから顔だろうとは想像出来るけど顔のパーツがわからないなど。プリントの重なりはものにもよると思いますが、VOCA賞を受賞した「Remove」で5.7cmだそうです。NASAの重力テストプログラムの様子を撮影した映像を元に作成された作品からは、被験者はあまり動きがないからか普通に見えてるけれど、実験する両側の二人は動くから頭が妙に広くなったり、小さくなったりする。映像で見ているだけだと都合よく補完したり忘れたりすることに気づきますね。
私はこちらの作品「彩湖、サンマルク広場」が好きですね。
ところで、Nerhol(練る掘る)の練る方の田中義久さんはグラフィックデザイナーであり、美術作家やギャラリーの依頼でアートブックをデザインされています。その仕事の過程で作るであろうダミーブックの横からの見た目=厚みがNerholのプリントの重なりに通じるなと思ったのです。何かの物質性(特性)に気づくというのは、仕事を通した自身の経験から来るものなのでしょうか、とこれまた思った次第。
田中義久之本棚が開催されてますね。はやく行かないと。
埼玉県立近代美術館の展示ページ
https://pref.spec.ed.jp/momas/page_20200305063201
後藤繁雄さんがこの展示を自身のYouTubeチャンネルで解説しています。映像の物質性というと男性的と思われそうですが、ピピロッティ・リストという女性作家もいることがわかりました。