レビュー

あいちトリエンナーレ2019/加藤翼/愛知芸術文化センター(A34a)

高架の道路が見える空き地?で演奏するバンドの面々。見ると彼らの身体はロープで繋がれていてなかなか演奏できない(ドラムが叩けない、ギターが弾けない)。思わず、演奏の不自由という言葉が浮かんでしまいました。それは「表現の不自由展、その後」中止とその後の動きも受けてのことだと思いますが。そして妙にウケてしまいました。それはその状況だけでなく、演奏していたのが「スター・スパングルド・バナー」だったから。

米国国歌の「スター・スパングルド・バナー(星条旗よ永遠なれ)」。個人的には国歌というよりもジミヘンの曲です。つまり、中学生の時にテレビで見たウッドストックフェスティバルのドキュメンタリー映画の一場面、ジミ・ヘンドリクスの凄い演奏です。上記映像作品のタイトルは「Woodstock2017」。タイトルからは、どうしても1969年のジミヘンを想起せざるを得ないと同時に、今の時代にウッドストックのようなフリーコンサートを開催したら、見た目なじゃくて、心情というか内情はがんじがらめに縛られた状態なのかもしれない、などと思ってしまいました。ちなみに、1969年は米国とベトナムが戦争中。映画だと「イージーライダー」「明日に向かって撃て」「真夜中のカウボーイ」あたり。

話はあいトリから脱線しますが、上述の中学生の頃同様に米国国歌から衝撃を受けたのは1996年に米国でNBAの試合を見た時のことです。スポーツの試合って始まる前に国歌斉唱があったりしますよね。NBAでも国歌斉唱や時には有名人のアカペラなどがあることはテレビを通じて知っていました。だから実際にシカゴのユナイテッド・センターに行った時も、おお来た来たと思ったのですが、観客のほとんどが大きな声で歌って国歌の最後のところで大盛り上がりになるのは、テレビを見ていても気づけませんでした。本当に悔しかった。

この悔しさ(=一緒に歌って盛り上がりたかった)ですが、普通の悔しさと同様に扱ってよいのだろうか。そんなことを、映像作品「Woodstock2017」を見た後で、ふと思ったのです。だって、試合前に皆で盛り上がれたとしても、国歌なんですよ。国歌が好きなのはいいし、国歌が嫌いでもいいと思いますが、国歌で熱狂するのは気持ち悪くないですか?そういうモヤモヤに気づかせてくれたのが、「Woodstock2017」と、その対になる「2679」(加藤翼作の日本版の演奏の不自由な作品)でした。国歌については、あいトリの他の作品からも色々考えさせられましたが、またの機会に。

あいちトリエンナーレの作品ページ
「Woodstock2017」
https://aichitriennale.jp/artwork/A34a.html

会場に掲示されていたステートメントを貼っておきます。