レビュー

あいちトリエンナーレ、展示中止中と再開後はどう違っていたのか

あいちトリエンナーレ2019は10月14日に閉幕しました。今年のあいトリ訪問では、元々最終日に行く予定にしていました。展示の中止や変更があったので最終日をどのように迎えるのかとても気になっていたからです。ここでは、8月、9月に行ったことを思い出しながら、10月の展示再開後は展示中止中とどう違っていたかについて書いてみます。

中止や変更した作家について

「表現の不自由展、その後(以降、不自由展と略す)」の展示閉鎖の発表後に、連帯を示すために展示を中止したり変更した作家は14組。展示場所でみると、不自由展と同じフロアの愛知県美術館ギャラリーが6組、上階の愛知県美術館が3組、同美術館の入る愛知芸術文化センター地下フォーラムが1組、名古屋市美術館が2組、これら名古屋の美術館エリアに出没するパフォーマンス展示が1組、豊田市美術館が1組。というように、不自由展と同じフロアの中止が目立ちました(出典は、美術手帖の「「不自由展」だけじゃない。あいトリで全作品が展示再開」の記事、なお再開された展示の写真も掲載されているのでご一読をお勧めします)。

出身地でみると、南米出身の作家ほとんどの7名が中止あるいは変更、韓国出身の作家2名が中止、日本の作家2名が中止あるいは変更、北米1組が辞退、欧州1名が変更、アフリカ1名が一時中止。

ジェンダー的には、女性8名、男性5名、グループ1組。そのため参加アーティストの男女比を同等にするジェンダー平等が崩れ、それ(だけではないものの)に応答する形で、参加アーティストがステートメントを制作するに至りました。

不自由展のフロアは中止期間どうなっていたのか

一言で言うと、不自由展のフロアはずっと寂しかったです。というのも最初に見た8月には、不自由展のフロアで入場券が必要な16展示中、不自由展を含めて中止されていたのが5展示で、最終的に7展示まで中止が広がっていったからです。

だから、8月の場合は…
とある映像展示の隣に暗幕はあるけど行けない、とか、不自由展の手前のエリアも中止(9月に行った時は展示室扉が閉じられていて、そこに #YOurFreedom の来場者が書いた付箋が貼られた)、とか、その次の展示室は見られたと思ったら、閉じられた扉がまたあって(9月に行ったら閉じた扉が連続していて)という感じ。変な例えで申し訳ないですが、シャッター通りになりつつある商店街に来てしまったような寂しさを感じました。

なお、上述のとおり、他の展示エリアでも一時期変更になっていましたが、私が訪れた8月にはいずれも変更されてはいなかったので、引き続き、不自由展のフロアについてだけ書くことにします。

展示再開後の印象

一言で言うと、本来あるべき姿を回復した、という印象でした。やはり、順路の途中に閉まっている部屋があるのは不自然であり、その不自然さゆえに寂しさや不安を感じていたのだと気付きました。

また、不自由展と絡めて言えば、中止していたパク・チャンキョン、イム・ミヌク、CIRの展示を見ると展示全体の共振に気づくようにも思いました。ちなみに、私は不自由展は見ていませんが。

例えば、不自由展にある「平和の少女像(キム・ソギョン、キム・ウンソン)」が着ている韓服。現在の色鮮やかな韓服はイム・ミヌクの「ニュースの終焉」のインスタレーションで使われていたり、あるいは、少女像が70余年前の子どもであるのに対し、北朝鮮の少年兵を連想させるパク・チャンキョンの「チャイルド・ソルジャー」がある、というように。

イム・ミヌクのインスタレーション
イム・ミヌクのインスタレーション
チャイルド・ソルジャーの展示
チャイルド・ソルジャーの展示(一部)

一方、不自由展の手前の展示、CIR(調査報道センター)は、アメリカの政治や社会システムの弊害を映像やアニメで雄弁に伝える調査報道なのですが、それに対して奥の不自由展は作品が検閲を無言で伝えているとでも言ったらよいのでしょうか。そして、不自由展では日本における検閲をテキストで年表という形で伝えていたようですが、CIRでは問題を音声とインフォグラフィックで伝える、というように構成が対照的にも思えました。

CIRの展示
CIRの展示

また、「ニュースの終焉」では、二面のディスプレイに映し出される嘆き悲しむ人々の光景は、一見同じ悲しみにも見えますが、北朝鮮の金正日総書記と韓国の朴正煕元大統領の葬儀のニュース映像であり、実は分断された二つの国家であることに気付かされます。分断からは朝鮮半島の離散家族を連想しますが、ハビエル・テジェスの映像作品「歩行者」でも同様のことをうかがい知ることができました。つまり、「歩行者」でのベネズエラを離れた人々(おそらく国に戻れない?)が語る故郷に残した家族への想い。ここに会えない現実が突きつけられている気がしました。

ニュースの終焉
ニュースの終焉

というように、愛知県美術館ギャラリーの展示は実はとても充実していて、8月に見たときの寂しい印象の方が間違っていたのだと認識した次第。とはいえ、パク・チャンキョン、イム・ミヌク、ハビエル・テジェスの映像作品はおよそ10日あまりしか見られることがなかった訳で、再開されたとはいえ、なんか納得行かないですよね、見られた人は全来場者の何パーセントだったのだろう…

ロミオはいたのだろうか

ロミオというパフォーマンス作品は、今回の作品の応募に受かったロミオたちが展示会場内を歩き回り、来場者に話しかけてくるというもので、いつ話しかけられるのだろうとワクワクしていたのですが、残念ながら話しかけられませんでした。こちらが、あの人がロミオだろうかとキョロキョロしてたので、気持ち悪がられたのかもしれませんが(笑)。

ところが、愛知県美術館ギャラリーの最初の展示室、今村洋平の展示を見ていたときのこと。入り口の方から犬のハアハアした声が近づいてきたのでした。見ると、男の子が一人。私に向かって何かをまくし立てて話すのですが、何を言っているのか聞き取れず、聞き直すと、次の展示室を指差して訴えるのでした。これもよく聞こえなかったので、「ありがとう」と言って次の展示室へ行きました。それからしばらくして、この子がロミオだったりして!と家で話してたのですが、どうなんでしょう。

ちなみに、次の展示室とは、袁廣鳴の「日常演習」と「トゥモローランド」。トゥモローランドは遊園地の模型が爆破されるもの。彼がロミオじゃなかったとしたら、これに驚いたのかなと思いもしたのですが、なぜ私に伝えたかったのかその謎は消えません。