YOurFreedomの壁の前で感じた私の不自由

前回あいちトリエンナーレを訪れた際は、9月14日にサナトリウムで #YOurFreedom (閉鎖されている展示室の扉に、オーディエンスに「あなたの不自由」を付箋に書いて貼ってもらうプロジェクト)を書いて、翌日9月15日に実際に貼られている展示室の壁を見てきました。以降、9月25日に「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」が展示再開の方向性を示し、26日に萩生田文科大臣が文化庁の補助金不交付決定を臨時会見で発表、10月8日には「表現の不自由展・その後」を含めたすべての閉鎖された展示が再開するなどありました。

一方、私個人としては、かつて通ったアート系講座の呼びかけで、講座の参加者有志が集まってあいトリについて意見交換するような対話の会に参加してきました。会では対話の重要性、言い換えると『アート好きじゃない人とも対話していかないといけない』などの発言が出ました。同じ頃に「電凸した「アートがわからない人」とこそ対話すべきだ。 あいちトリエンナーレを擁護するリベラルたちへの提案」という記事を知りました。

そのような意見に賛成なのですが、『対話すべき』と思ってても身体は動かないことを身にしみて感じたので、書き残しておきます。ざっくり言うと以下です。

上記のツイートは9月15日の以下のことを後から振り返って言語化したものです。何があったかというと…

その日にYOurFreedomのハッシュタグをつけた多くの人の不自由の紙が壁に貼られている様子を見ました。壁に貼っていたのは、前日にお話を聞いたアーティストの方々でした。そして、日章旗の腕章をつけた人がアーティストに話しかけていてアーティストもそれに答えているのを目にしたのですが、ちょっと驚いてしまい、遠巻きで見てしまったのでした。

この時はアンチあいトリ(というか、アンチ表現の不自由展でしょうか)の人も来ているとは思っていなかったのでした。と、私がその方をアンチ○○と独断するのもよくないのかもですが。結局、誰が話しかけていたとしても、私が話しかけたかったら気にしないで話しかけに行けばよかったんですよね。だって、仮にアーティストが自分の知り合いだったとしたら、日章旗の人と話してたとしても逆に気になって積極的に声かけますよね。

まあ実際、知り合いじゃないのにどう声かけるんだとか思いますが。だけど、会話に割って入るのだから、「お話中すみません。ちょっといいですか」でいいのですよね。その結果「入ってくるな」と言われたら止めればいいのであって。とまあ、自分で自分の自由を制限しているのに改めて気づいて、驚いた次第です。


こっち側あっち側問題については以下にも書きました。

あいちトリエンナーレ2019/田中功起/愛知芸術文化センター10F(A11)