作品の中に過去の著名な作品を取り込むこと、そのような手法をアプロプリエーション(盗用芸術)と言う、ということをこの展示で初めて知りました。
3つの壁面を使って、金村修の写真集を複写、金村修の写真展示を複写、さらには金村作品と関連性がある写真集を複写して展示するという今回の展示、見ているうちに、金村氏の作品を見ているのか、タカザワ氏の作品を見ているのか解らなくなる感覚になり、そして関連性のある写真集の複写に至っては金村氏の作品なのではないかという錯覚さえ生じて、不思議な体験をしました。
3壁面の中では金村作品と関連性がある写真集の複写が楽しめました。おそらく私が、タカザワ氏の金村修像を伺う、あるいは、どんな関連作品を提示するのかを楽しむ、という見方をしていたためかと思いますが。
一方、金村氏の写真展示の複写壁面が今ひとつ解りませんでした。複写されていた元々の展示を見てはおらず、見るための物差しがなかったせいでしょうか?そんなことを言ったら、過去の有名な曲と知らないで誰かがカバーした曲を聞いて良い曲だなと思うことは沢山あるので、もっと素直に見ればよいのに、とも思うのですが。
タカザワ氏は写真に関連する評論や講義などの活動をされていますが、写真についてのリサーチの一環として展示を行っているとのことです。昨年1月の展示に続き今回の展示を見ましたが、写真家の展示とは違った視点(というか、コンセプト)が新鮮で、刺激を受けます。
今回の展示は『写真につきまとう「見る」ことの難しさからスタートした』とのこと。作品の複写と言えども、多くの作品の中からなぜこれを選んだのかという部分においては元の作家ではなく、展示している作家の意図であるため、その意図をもう少し探ればよかったと今になって思いました。
会場にあったステートメントを会場のThe Whiteのウェブサイトで読み返したら、こんな一文がありました。
展示作品の複写は写真のディテール、すなわち、写真家の無意識を「見る」ことを目的に、写真集の複写は、写真集という文脈に落とし込まれた金村の写真を観察するために、それぞれ撮影した。
上の方に、写真展示の複写壁面が今ひとつ解らなかったと書きましたが、ディテールを見ようとしていなかったのかもしれません。自分が不得意とする部分がわかったような気がします。
▪︎データ
タカザワケンジ「 Osamu Kanemura’s New Work? 」
2016年1月12日〜1月23日@The White
http://www.the-white-jp.com/exhibition/20160112_takazawa.html