レビュー

[ライブ]Brian Jackson The Music of Gil Scott-Heron & Brian Jackson ギル・スコット=ヘロンを今聞く理由

ブライアン・ジャクソン東京公演の最終ステージ見てきました(9月26日)。今回が初来日、そしてギル・スコット=ヘロンと共に活動していた時期の共作曲をやるというライブ。これまでに二人の演奏は、スタジオ録音盤やライブ盤で聞いていました。が、CDで聞ける70年代の録音と同じなのか、違うのか、その後のギル名義のブートぽいライブ盤ともどう違うのだろう、と楽しみにしていました。

なおセットリストは、事前に予定分が公演のページに掲載されていました。出だしの2曲はこの通りで、Offering、Lady Day and John Coltrane。アンコールはThe Bottle。その間はSave the Children、Home is Where the Hatred Is、Guerilla、It’s Your World、Pieces of a Man、Winter in America(曲順は失念、あと他にやってたかもしれない)。

同時代性

ライブは本当に凄かった。行って良かった。ブライアンのバンドでこれらの曲のライブCD出して欲しいくらいです。見る前は、古い曲ばかりだし、ギルもいないし、懐かしかったと受け止めてしまったら嫌だなという不安も感じはしました。が、かつてのアレンジからあまり変えなくても全然違う。確かに、今古い録音を聞くのと、今ライブで聞くのは、機材の違いもあるし比べ物にならないんですが、そういう理由だけじゃなくて、このままでいいんだ、このアレンジってこんなに良かったんだと再認識できました。

例えば、「Home is Where the Hatred Is」。この曲が入っている1971年発表のアルバム「Pieces of a Man」だとイントロのエレピの連打が古臭く感じていたんですよ(ごめんなさい)。二人がコラボレーションをやめた後、この曲は長いイントロを伴うアレンジを施され「The Other Side(長い3部構成だったりする)」という曲としてギルがライブ演奏するようになり、今ではブートも含めて複数のライブ音源で聞けます。私は、こっちのライブ録音を聞くことが多いので、昔のイントロのシンプルな良さを忘れてました。昨日のこの曲のイントロはアルバムと同様なものでしたが、エレピの連打がシャープさや切迫感を醸し出していて、変な話、一瞬にして1971年の録音スタジオにタイムスリップした気になりました。この曲に同時代性を感じたのは昨日が初めてだったと思います。

ギル・スコット=ヘロンを今聞く理由

あえて書く必要もないですが、ギルは元々小説を書いたり、最初のレコードがスポークンワードだったので、二人のコラボでも詩を書いてます。そんな人だから、内容も含蓄のあるものだったり、社会性を感じさせるものが多いんですよね。

例えば、「Winter in America」で語られているのは自然破壊と自由の破壊。歌詞の最初の方では、『高速道路に下にかつての森が埋まっており、それらの木々は育つ機会がない』『人々は冬だということを知っている。アメリカの冬。しかも誰も戦っていない。だって誰も何を救ったらいいのかわからないから』と描写しています。

また、「Pieces of a Man」は子どもの目を通した楽しくはない日常の光景が描かれています。その内容は『僕は父さんが郵便配達のおじさんと会ってるのを見た。おじさんがこう言ってるのが聞こえた「ジミー、この手紙にくよくよするなよ。だって今日は他にも9人レイオフされたんだから」。だけど父さんは配達のおじさんが何を言ってるか知らなかった。おじさんはほとんど理解できなかった、自分が人のかけらに話しかけてるだけだということを。』という感じ(後半の”だけど”以降の父さんとおじさんと訳した部分は、どちらもheでどっちがどっちか難しい。訳も外れかもしれない)。

こういう詩を今聞くと、嫌な意味で日本が米国に追いついてるというか、彼らの曲を今聞く理由があるなと思ったのですよ。そういう意味でも同時代的だと思います。

また、喋りとか歌い回しが結構ギルに近いのに驚きでした。ギルを重ねて見えてしまいました。ギルは曲前に「Brian and I」と言うけど、昨日は「Gil and I」と曲前に聞いて(そりゃ当たり前ですけどね)、とても温かい気持ちになりました。曲前の喋りも長めだったのもよかったです。ギルのライブ音源でも曲前の語りが長いですよね。そこから知る事実もあって面白いです(例えば、95 Southは米国の活動家、ファニー・ルー・ヘイマーを偲んだ歌なのだけど、ギルが子どもの頃に住んでいたテネシー州ジャクソンは、ファニーがいた?ミシシッピ州境まで50マイルで、よく冗談でむにゃむにゃ…肝心なところが聞き取れないけど、まあ面白い話)。私は全部理解できてはいないけど、全部届いている人が羨ましい。

牡羊座と天秤座

そんな曲の背景として面白かったのが、「Lady Day and John Coltrane」。占星術について語っていて、ギルは牡羊座、ブライアンは天秤座だそうですが、ビリー・ホリデイも牡羊座、コルトレーンも天秤座と聞いて、おおおお!と興奮しました。それが話の本筋ではなかったと思うのですが(笑)。大学のキャンパスであれこれ雑談してコラボしたのかもしれない、など想像しますね。

大学での出会いと言うと、私が思い出すのは、これです。

『1969年の秋。僕は16歳で、すでに大学生だった。一体何てことをやっちまったんだ?僕は飛び級(大失敗!)したのだけど、家に帰ろうにももう手遅れだった。僕は音楽室でお慰みにピアノを弾いていた、そんなところに君が僕を見つけたんだった。ある日、背が高くてひょろ長い奴が練習室を覗き込んで、ガラス窓を叩いた。僕は彼に部屋に入ってくるよう身振りで示した。アフロヘアがほとんどドアを通らない。どうも彼は僕のことを学内で聞いたようで、僕の全てを調べたようだった。』

“君,彼”はギル・スコット=ヘロン、”僕”はブライアン・ジャクソン。

引用した文はブライアンが書いた回想文の出だし。ギルが没後にグラミー賞を受賞するタイミングに書かれ、ギルの没後最初の誕生日の数日前にジャズタイムズに掲載されたもの。
もちろん掲載直後に読んで、今となっては何が書いてあったか覚えていないのだけど、冒頭の『アフロヘアがほとんどドアを通らない』だけは鮮明に覚えていて、そのシーンがまるで自分が見たように脳内に焼き付いているのです(キモい…)。

そんな大学生二人が自分たちとジャズジャイアンツの共通点を見つけて面白がって曲を作ったりしたのかもしれないですよね。

 

「Brian and I」と言えば、と思ったら、「Briand and me」でした。にしても、この曲前の語りはいいんですよ。
ブライアン版のLady Day and John Coltrane
オリジナルのLady Day and John Coltrane、ギルさん歌唱
ブライアンとグレゴリー・ポーターのコラボ。グレゴリーさんもギル歌が合う。