8月1日から開催の「あいちトリエンナーレ2019」に「Last Words」という作品が出展されます。Last Words(遺言)はType Traceというソフトウェアでタイピングの過程(時間や修正箇所)とともに記録されて可視化されます。その仕組みにとても惹かれました。知るきっかけはWIREDの記事でして、dividual inc.やType Traceのことを初めて知りました。
以下に、記事に触れた際の第一印象と、雑感のまとめを書いておきます。
雑感まとめ
WIREDの記事で紹介されているタイピングの再生動画を見てみました。家族や友人など特定の人に宛てた遺言が展示されて、それをいくつも見る(読む)のはどんな気分なんだろうという興味からでした。野次馬的なざわついた気持ちで見始めたのですが、不思議なことに気持ちが鎮まっていくのですよね。ケンカしないでとか、思い出してとか、普段思っていても口に出さない言葉が表出されていて、そこに共感したからでしょうか。と同時に、ある種の証言(例えば、戦争や震災の体験談)を聞いて「そうなんですね」と受け止めてしまうような感じに近いような気がしました。
今、『証言を聞いて』と書きましたが、文字を読んではいますが、タイピングされていく文字を目で追っているわけです。完成した文章を自分のペースで読んでいるわけではなく、あくまでも書き手のペースで読まされるのです。だからでしょうか、証言を聞いているような感覚になるのは。また、これは過剰な意見かもしれませんが、タイピングされる言葉を頭の中で発音しながら読んだ場合は、その人の思いが自分の一部になるような体験とも言えなくない気がしました。山城知佳子の映像作品「あなたの声は私の喉を通った」みたいな(本当に大げさですみません)。
異なる場所にいる人々が何か(それがパーソナルな内容であっても)を同じプラットフォームで表現する行為、それは、以前(2006年)、東京都写真美術館の展示「私のいる場所」で見たセカンドプラネットによる「風景のプロジェクト」を連想させました。
「風景のプロジェクト」で文字が動いていたかは覚えていませんが、様々な人からの文章がスライド風に映し出されるスクリーンを飽きもせずに何度も見ていたのを覚えています。他者の独白を眺めるのが楽しい気持ちは、個人的には、その数年後にTwitterに夢中になっていったことにつながります。まさか遺言からTwitter(に私が感じていた)本来の楽しさを気づかされるとは思いませんでした。
一方で、Last Wordsが発展したら、遺言版ツイッターのようなプラットフォームになるのだろうか。いいね!やリツイートはないけれど、そこを訪れると懐かしい言葉に再会できて、初めて出会った他者の言葉にも気持ちが静まるのだろうか。そんな想像も掻き立てられました。私はまだ #10分遺言 を書いてはいませんが、あいちトリエンナーレの展示に間に合うように書いてみたいです。