喪に服す

びーがびーを見ている(2010年)

びーの死後から18日が過ぎました。年度末から今週初めまで仕事が忙しく、一段落したところで、ふと気付いたのは、ちゃんと悲しんでいないということでした。悲しむ状態をどう言うのか考えて出たのが「喪に服す」でした。

猫とはいえども、15年も一緒に生活していたら家族ですよね。その一角が失われてしまったのだから、普通に辛いです。疎遠だった祖母が他界したときとは全然違います。俗に言うペットロスです。そんな自分と向き合い、自分なりに喪に服したと思うにはどうしたらよいのか、思いつくままに書いてみます。

びーについて話す時間をつくる

びーの死後も、びーのことを夫と話していると思っていました。でも、よく考えたら、ふと話題に上った時程度だなーと気づきました。今になって、もう少しびーについて話し合った方がよいのではないかと思い直しました。その理由は…

闘病が2年以上だったので、毎日ではないにせよ、これからどうなっちゃうのだろうとビクビクしながら生活していました。一方、びーが死んだ日は、天気が良く近所の桜が満開で、びーのために桜の花びらでも拾ってこようと外出し、気付いたのは肩が軽くなっていたことでした。その時はビクビクから解放されたような気がしましたが、一瞬で2年半のビクビクから解放されるのも簡単すぎるように思えます。

あえてびーについて話す時間をつくることで、びーが死んだ現実を避けることなく、自分と向き合うことができるような気がします。例えば、譲り受けた時のこと、びーの遺産(遺してくれたものというか、教えてくれたもの)、エピソード(ベランダから飛び降りてしまったこと、夜中に人を起こす癖)など、考えるといくらでも出てきそうです。ゆるいルールとして、こうすればよかった的なことは言わない、ということにした方がよさそうですね。

話すことが何になるか

少なくともブログのネタにはなります(笑)。
また、新たな気づきも出てきそうだし、そういう積み重ねで今ともに暮らす猫に接する術を身につけることができるのではないかと思うのです。

また、猫を亡くした人同士で語り合うのもよいのかもしれません(グリーフケア的な意味で)。ふと思いついただけで、全くノーアイディアではありますが。…いや待てよ、ねこのいないねこカフェイベントをやったことがあるのですが、それを発展させる手はアリかもしれません。

話す以外のアウトプットをする

5年前にまーが死んだ後は、グループ展、コミックマーケットなどいろいろやってました(とはいうものの、まーが死んだから「ねこまんが」が作れないことはないと頑張って作ったvol.4以降ねこまんがを作れていないのも事実ですが)。びーを主題にしてでも、びーを思う気持ちででもいいのですが、何かやりたいですね。

そして、これってペットロスと気づいたつい先日、眠れなくてびー自身やチェーンリアクションででてきたことを考えていた時間が、思い返すととてもいい時間でした。まるで、意識の流れ的な小説のようだと思ったのです(割と小説を書く気満々 笑)。この例えは多分自画自賛ですが、自分にとって忘れていたことを気づかせてくれた時間でもありました。最後に一つだけ紹介します。

びーのチェーンリアクション

びーを譲り受けたのは15年前。どうして譲り受けたかといえば、その少し前に猫を亡くしたから。その猫ちゃーが黒猫だったからどうしても黒猫を飼いたかった。そこまで固執したのは、腎不全で他界したちゃーがまだ若く、若いためにけいれん発作も激しくて苦しそうだったから。ちゃーで思い出すのは死に至る数日間のことばかり。

そんなに辛い思い出しかないの?

ちゃーを保護したときは肉球がえぐれるような怪我をしていて、なかなか治らなかった…これも辛い思い出。だけど怪我治ったんだ。

そして?

私たちが階段状の棚を組み立てていたのを、出来上がった階段をまーが登ったり降りたりするのを、ちゃーがエキスパンドメタルの引き戸の網目からじーっと見ていた。FIVポジティブだけど普通にまーと一緒にしようと思い、ちゃーの部屋の引き戸を開けたんだった。ちゃーは階段の一番上で寛ぐのが好きだった。

他に何が好きだった?

外猫だったから外が好きで、ベランダで日向ぼっこするのが好きだった。首輪にリードをつけて、散歩のつもりでちゃーとベランダに出た。仰向けになってベランダのタイルに背中を擦り付けるのが好きだった。植え込みのローズマリーに突っ込むのが好きだった。物入れの上に飛び乗り、そこで過ごすのが好きだった。晴れている時に5分、10分ベランダの散歩をするのがちゃーとの日課だった。ちゃーと私には幸福な時間が流れていた。

 

まー&ちゃー(2002年)