対話型鑑賞術の講義に参加しました。
MoMAで開発されたビジュアル・シンキング・ストラテジーズという手法を知ったのは半年前(普通にgoogle検索してでした笑)。そこから書籍「どこからそう思う?学力をのばす美術鑑賞 ヴィジュアル・シンキング・ストラテジーズ(略:VTS)」を読んだりしたのですが、同時に対話型鑑賞術の講座が開催されているのを知って参加してみました。ここでは講義を通して得たこと、感想などを振り返ってみます。
どうして美術鑑賞が必要なのか?
話は逸れますが、子どもの頃、母が「麗子像」の小さなポスター(雑誌の切り抜き?)を額装して居間の壁にかけていました(しかも複数)。私はその表情が怖かったので、母に外してほしいと頼んだのですが、母曰く、こんなに可愛らしく描いている絵はない、とのことで却下された経験があります。とてもショックでした。以来壁の麗子像をできるだけ見ないようにしていました(時にはチャレンジングに見返すこともありましたが笑)。
その、私にとってトラウマな麗子像が講義に出てきたのですが、講師曰く、父親にとって娘とはどんな存在なのかを投げかけている、とのこと。
怖い顔としか認識していなかったので驚きでした。そして思ったのは、母は麗子像に私を投影して見ていたのかもしれない、ということ。成る程、かつては自分と同様に子どもであった麗子像でした。が、私が年を経ると麗子像の方が年下になり、麗子像を通して、自分の子や孫(あるいは甥、姪でもよいけど)に思いをはせる人がいてもおかしくない、ということにようやく思い至りました。
さらに、講師曰く、アートとはつねに人と世界に対する問いを発し続けていて、そのものではなくその先にあるもの(象徴されているもの)である、とのこと。それらを「鑑賞」することが、観察力や批判的思考力の向上につながることは、上述のVTSの本でも触れられていますが、作品のその先に迫るのが対話型というわけです。
キーワード:10秒
これは人が美術館で1作品を見るときの時間だそうで、米国の1928年の論文で発表されたそうです。確かに一人で黙って見ていると10秒くらいしか作品の前にいないかもしれません。中にはもっと見たい作品もありますが、自分の主観で見ているので、その間は観察したり批判的思考などは使っていないでしょう。多分見たいところしか見てないのですよね。
その反省に立って、やってみてもいいかなと思ったのは、せいぜい2、3人で混んでない時間帯に行って、各自でバーっと見て、意見交換したい作品を選んだ上で皆で改めて鑑賞する、ですね。せいぜい3作品くらいでしょうか。それをブログなどでまとめていくとよいかもしれませんね。
知識に作品をあてはめてるだけ?
展覧会に行って何度か見た有名な作品があったとして、「あ、見た」と素通りしてしまうこともあったりしますが、知っている作品だと認識した瞬間に見ることをやめてしまう傾向があるそうです。そのように知識に作品をあてはめるのではなく、知識ではなく意識を持って作品に向き合うことを心がけたい、とは思いますが、実践できるかな…
アート作品の価値をつくるものは?
『鑑賞とは受け手なしでは成立しないゲーム』、『絵画作品は見る人によって初めて生命を与えられる』。講義の中でなるほどと思った箇所です。アート作品の価値を作るのは芸術家ではなく鑑賞者。これについては、対話型鑑賞の実践を通じてとても実感したので別途書きます。
それ以外の気づき
- VTSは美術作品でやるのだけど、作品ではなく古い写真でやる場合もあるとのこと
→高齢者(私の親世代)に対して行う場合はこちらの方が良いかもね - 美術館で学校向けのVTSを行う際に、いきなりやっても美術作品を見たこともない人もいるため、(ここは私の意訳ですが、まるで視聴者参加番組のように参加者を集中させる意味で)アイスブレイクをして、鑑賞に馴染んでもらってから、VTSをやるみたい。ここは、さすがだなあと思いました。
- 実際に2枚の写真でVTS治験者になったのですが、その1枚(ポートレイト)は現在美術館で展示している写真。何も知らないポートレイトでしたが、写真家に違いない、セルフポートレイトに違いない、ドヤ顔だ、など色々意見が出たのですが、展示室で誰が誰を撮ったのかがわかると、瞬時に鑑賞が情報に変わってしまい、もうその写真を見る気がしなくなったのですよね。この移り気になっていく過程が(瞬時なのですが)とても面白いと思うのですよ。このような感覚と日々付き合ってるのだなと。