[映画・トーク]「未来をなぞる 写真家・畠山直哉」で『乗り越えなくていい』を再確認する

2017年2月12日に、フォト・ヨコハマのパートナーイベントとして横浜市民ギャラリーにて映画の上映と畠山容平監督のトークがありました。監督のトークも長めで初めて伺うこともありました。また、畠山直哉さんのビデオメッセージというか近況ビデオが最後に流れました。気がつけば終了時刻の16時を結構過ぎていましたが、参加してよかったです。

トークと近況ビデオ、最後に雑感を書いておきます。

畠山容平監督トーク

以下の事柄についてお話がありました。

  1. 監督と写真家の関係(元生徒だった)に触れつつ映画制作のきっかけ
  2. 監督の制作指針
  3. 撮影素材であえて落としたもの
  4. 逆に撮りたかったのに撮れなかったもの

1については、これまで、監督が自作の第一作ビデオを持って久しぶりに写真家を訪問して、その後ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展のためのビデオ撮影を担当することになり、その流れで本作を作ることになった、などと聞いていました。が、ヴェネチア・ビエンナーレの前に写真家の仕事でビデオを撮るものがあり、それを手伝ったりということもあったようです(そのビデオも見てみたいですがー)。

2については、シナリオをつくらず、素材ノートを元に、監督いわく『まるで粘土をこねるように』作るようにしているそうで、監督が師事した佐藤真監督がそうだったとのこと。映像を作ったことがないので想像できないのですが、これには驚きました。

また、佐藤真監督が言っていたことで畠山監督自身も気をつけていると話していたのは、自分が意図せずに撮れてしまった!と思うものを撮ったとしても、使うかどうかには慎重になる。なんとなくわかるような気がします。自分に責任が持てないものは使わない方がいい、別な言い方をすれば、なぜ使ったのかを説明できないものは使わない方がいい、ということでしょうか。粘土をこねるようにとともに貴重なお話を聞けて、よかったです。

 

最新ビデオ

ビデオメッセージだと思っていたので、愚かしいことに「みなさん、こんにちは」的に始まるのかと思って見はじめました(汗。だから、冒頭の、雨と海鳥の声、そして現在の陸前高田を車窓から写した映像が流れた時はとても驚きました。

そこには、「未来をなぞる」の最後の場面(キャピタルホテル1000の方を眺める写真家)の続きのように、ホテルへの案内板の様子、巨大ベルトコンベア解体後の風景、巨大防潮堤設置後の風景が収められています。その後、写真家のインタビューと、東京の車窓の風景、雨と海鳥に戻り、10分の映像が終了しました。監督自身も言っていましたが、暗い雰囲気に包まれていました。インタビューでは、作り物のスペクタクル映画と本当の災害の映像が同じPCのディスプレイで見れてしまう現在について触れられていて、最近のフェイクニュース問題を連想しました。

 

雑感

この映画との出会いは2015年2月の3.11映画祭のプレ上映でした。実は、昨日は上映時刻ギリギリに会場に着いて、呼吸も乱れている中で映画が始まったのですが、始まった途端にスーッと心が静まり、安心感が広がるのを感じました。東大での上映会でも、『映画全体に流れる静けさ、落ち着きが印象的』と話された登壇者もいましたが、それがこの映画の特徴であり、魅力のひとつなのではないか、と感じました。そのような静けさ・落ち着きを与えているのが、監督の眼差し(撮り方)だと思っているのですが、以前このブログに書いたことを再掲しておきます。

映画には、写真家の言葉がたくさん出てきます。仕事場でカメラを前に話す姿、講演の様子、震災後の陸前高田で町の人と話す姿、それらをブツ切り的につないでいるのではなく、見ている人にじっくり聞いてもらえるような見せ方になっていると思いました。映像もじっくり撮るというか全体をとらえている感じがして(特に最後の方で写真家が愛宕山の上から気仙川の方を撮影しているシーン)、まるで見ている私が写真家のうしろに居るような気になりました。

再掲した上記テキストにもありますが、映画に出てくる写真家の言葉、そのいずれもが共感出来るものですが、刺さる言葉が見る時どきで変わります。この日刺さったのは、『写真は外界に対する反応。こうくるからこう返すみたいなところがある』と、『乗り越えるとか言うけど、乗り越えなくてもいいんじゃないか。乗り越えるとか聞くと気持ちが内に向いてしまう』でした。

外界に対する反応で言えば、これには瞬間的な反応だけではなく、対話するということも含まれているのではないか、と思ったのです。言われてみると、あの時は対話してたなと思うこともあるものの、ほぼ全然と言っていいほど対話しないで撮っているような気がしていて、いささか愕然としました。

また、乗り越えなくていいについては、映画のそのシーンのときに、ホッとした感覚になりました。どうも、この言葉を聞きたくて見ているのかもしれない、そんな風に思いました。個人的には、乗り越えられなくて苦しくなったときに、また見たい、そう思えました。

(このテキストは、2017年2月のイベント直後に書いたものです)

 

映画「未来をなぞる 写真家・畠山直哉」公式サイト
http://www.mirai-nazoru.com/

「未来をなぞる」について書いたもの

[映画・講演] 「未来をなぞる」上映会+ディスカッション「カタストロフとイマージュを考える」
東大での上映会について(2016年8月1日)
※登壇者のみなさんからとても貴重なお話を聞けました

[映画] 「未来をなぞる 写真家・畠山直哉」
横浜シネマリンでの上映について(2016年2月10日)

映画「写真家 畠山直哉 未来をなぞる」
2015年2月の311映画祭プレイベントについて(2015年4月22日)
※書きたいように書いてなくて冷や汗ものです