[レクチャーパフォーマンス]Chim↑Pom劇場

最終日の2月5日に行ってきました。
内容は、これまでの活動をレクチャーと映像で紹介するもので(卯城さん)、最後にパフォーマンス。メンバーによる開演前のVJもよかったです(上記写真:会場のナマの映像とのコラボが新鮮でした。観客が満杯になってから撮ればよかったですね)。タイトルは、チンポムがよく演劇的だと言われるところから、そして、小泉劇場とか小池劇場とか呼ばれる現象から名付けたそう。
以下の順に記します。

  • レクチャー内容
  • パフォーマンス
  • チンポムの展示予定
  • 雑感

レクチャー内容

いくつかのプロジェクトについてレクチャーがありました。
覚書したことを書いておきます。が・・・
帰宅後にチンポムのサイトにかなり詳細に記載されていることに気づきました。
予習しておけばよかった・・・

[SUPER RAT]
チンポムは路上で活動をしていたが、当時何かで繁華街のねずみ駆除について知り(駆除剤が効かず、業者でも駆除が困難、そんなねずみのことをSUPER RATと言っていた)、そんなに難しいなら、それをチンポムがやったら凄くない?ということで、渋谷のゴミ目当てのねずみをつかまえるところを映像に。ねずみが入れ食い状態で大きな虫取り網的なものに入っていく様は凄かった。同じテーマでジオラマも作った。

[BLACK OF DEATH]
ねずみを追っていると、時間帯によってゴミをあさる動物が違うことに気づき、朝4時ごろにはカラスが来る。ねずみが集まっていたようにカラスも集めてみよう(たぶん)というところから、映像作品(録音したカラスの声を流しながらバイクを走らせるとカラスが集まって追ってくる)を作成。渋谷と国会前で撮影。3回くらいやるとカラスたちは、人間がやっているということをわかってしまい、もうついてこなくなるらしい。また外国だとカラスが人間を怖がってそもそも近づかないらしい。
カラス作品は、その後2013年版につながる。

[GARBAGE]
[PAVILION]
渋谷パルコでの展示のオファーがあり、渋谷パルコに象徴されるイメージ、同時にそれは自分たちの生活そのものでもある、大量生産大量消費大量廃棄をテーマに。パルコの前に巨大なゴミ袋に見立てたものを置き、ゴミ袋に人が入る。
またパルコ入り口のサインPARCOから、チンポムのCPを外して、屋内の展示会場に設置。街中だと普通にみえるサインが室内だと圧倒的な物質感を放つ。

[また明日も観てくれるかな?]
展示を行ったパルコも建て替えとなったように、2020年東京オリンピックに向け建て壊しがあちこちであり、建て壊しの決まっている歌舞伎町振興組合ビル(前の東京オリンピックがあった1964年に建った)で展示することに。ビルの事務所からは青焼きの図面などが見つかり青焼きをテーマにした展示も。ビルの4階から2階のフロアを切り抜きそのまま1階に積み重ねたり。展示物はそのまま残しビルごと解体。解体後のものを使った展示も予定している(展示場所は、確か、高円寺のArtist Run Spaceだったか)。

[LOVE IS OVER]
上述の歌舞伎町での展示は歌舞伎町で幅広くビジネスを展開しているエリイさんの旦那さんとの縁あってのこと。二人の結婚披露宴後に、歌舞伎町から新宿西口のパブリックアート「LOVE」を目指し、まさに皇室の結婚パレードのようにデモ行進。写真を撮りにレスリー・キーが、そして篠山紀信までもが。

[アイムボカン]
チャリティーで地雷撤去をしたいというエリイさんの発言から始まったプロジェクト。カンボジアで個人で地雷撤去をしている住民や彼の元で暮らす地雷被害にあった子どもたちとの交流(そうとう可笑しい)など紹介。爆破処理される地雷とともにエリイさんの私物を爆破させ、それを日本に持ち帰りオークションで販売(126億円がスタート価格で買い手がつくまで下げていくという逆オークション方式が新しい!?)。チンポムの取り分を持って再びカンボジアへ。時代はアートバブルの頃、その時に実施している同時代性がすごい。

[COYOTE]
[U.S.A. Visitor Center]
2014年、ニューヨークでのグループ展の際にアメリカに入国できない場合はコヨーテと呼ばれる入国斡旋業者とメキシコからアメリカを目指せばよい、みたいなやりとりがあって、ヨーゼフ・ボイスの「コヨーテ」を引用したインスタレーション。
そこからメキシコからアメリカを目指す人々に着目。サンディエゴとのメキシコ側の国境の町ティファナ。国境に建てられた壁を自分の家の壁として利用している家があり、そこの家族が協力者に。その区域はLIBERTADという(Libertyのスペイン語)。家の庭にある大きな木にツリーハウスを作り、立ち入れないアメリカへのビジターセンターと命名(2016年)。
またアメリカ側とメキシコ側に作品を設置(2017年)。
この最近の連作が2月から展示される(The Other Side)。
http://www.mujin-to.com/press/chimpom_2017_theotherside.htm

[ヒロシマの空をピカッとさせる]
原爆ドームの上空に飛行機雲で「ピカッ」を描いた作品(2008年)。翌日の新聞には否定的な市民の声とともにチンポムを批判する記事が掲載されたことから騒動が起きる。予定されていた広島での展示は自粛という形で開催を中止。市側から謝罪会見を要求され被爆者団体7団体を前に謝罪。その時に感じた違和感から、被爆者団体と交流が始まり、被爆者らとの対話は翌年刊行された検証本「なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか」にまとめられた。
被爆者団体の代表である坪井直さん(2016年オバマ大統領広島訪問時に広島平和記念公園にて握手をして言葉を交わした)とはその後も交流が続く。

[REAL TIMES]
[Level 7. feat. 明日の神話]

[気合100連発]
2011年の震災直後からイベントなどの自粛が続く中、上述の坪井直さんから「不撓不屈」(坪井さんの座右の銘)と書かれたFAXが。作品を作り続けるんだ、と思いを新たに。
発災後1ヶ月後4月11日にはトレッキングで福島第一原発が見える展望台に登頂する様子を収めたREAL TIMESを作成。
4月30日には渋谷駅通路の壁画「明日の神話」(原爆や水爆実験で被爆した第五福竜丸がモチーフ)の左右の壁画の欠けている部分(メキシコのホテルに設置されていた際には階段か何かで壁画は四角ではなかった)に福島第一原発事故の絵を付け足した。
5月には福島県相馬市で知り合った若者たちと100連発の気合を入れた様子を映像に収める。その作品「気合100連発」を上映。

[耐え難きを耐え↑忍び難きを忍ぶ]
このように作品を作り続けてきたわけだけど、例えば美術館から改変を求められるなど、実際のところは妥協しながらやってきた。10周年を迎えた2015年、黒歴史(これまでの妥協)を紹介する展示を行った。例えば、ある展示で「気合100連発」を流したいので、貸して欲しいと依頼があった際には、気合の中にNGワードが入っているので困ると言われた。編集したものの一部を上映(NGワードの発言をピー音で消し、字幕の英語訳に取り消し線を追加する編集。消しても微妙に見える英語や前後の気合から内容が推測できるものもあり、検閲の意味のなさを感じ、これはこれで面白かった)。

パフォーマンス

最後に、卯城さんが「耐え難きを耐え↑忍び難きを忍ぶ」の展示のステートメントを読み上げ、締めのパフォーマンスとなり終演。
全てはステートメントにある通りで、パフォーマンスはその決意を形にしたものでした(しかし、あのパフォーマンスは毎回行ったのだろうか)。
ステートメントはチンポムのサイトで読めます。必読です。2年前のものですが、数回読みましたが、いろいろ考えさせられます。

チンポムの展示予定

覚書にも書きましたが、展示が2つほどあるみたいで、忘れないで行きたいです。

Chim↑Pom展「The other side」
会期:2017年2月18日(土)- 4月9日(日)
会場:無人島プロダクション
Open:火~金|12:00-20:00 / 土・日|11:00-19:00
「ボーダー」をテーマに、2016 年から2017 年にかけてメキシコ・ティファナと アメリカ・サンディエゴの国境沿いで制作したアートプロジェクトを発表。
http://www.mujin-to.com/press/chimpom_2017_theotherside.htm

(また明日も観てくれるかな? の再構成)
「また明日も観てくれるかな?」のビル解体後の作品の残骸を再構成した展示を2017年にアーティスト・ラン・スペース・Garter@キタコレビルにて開催予定とのこと。渋谷パルコのCとPのネオンサインも展示される模様。

雑感

見る側としても、作る側としても、非常にモヤモヤさせられました。そういう意味でも刺激的なイベントでした。

見る側からすれば、ほにゃらら劇場という言い方は、例えばマスコミなど外部の人が面白おかしく名付けて、視聴者を釘付けにするわけで、同じように命名されると、ついスペクタクルを期待するというか、何をしてくれるのかなと思ってしまい、そういう自分が踊らされてる感じでよくないなーと。

確かにチンポムの映像をみると、演劇的な要素はあり(REAL TIMESで展望台に立って白旗にいろいろ描いていくシーンとか)、そういうところに惹かれるし、近美で見たときも「これはーっ、おおーーっ」とか思いながら見たわけですよ。

しかしそんなに面白かった割には、公式サイトもチェックしてないし、翌日には別の何かを検索していて(現代病かもしれません)、つまり、とっても面白いのにガンガン消費しているだけ。これは、意識的にしていかないとできないことだと想いますが、覚えるほど見たり調べたりして自分にとって作品が日常化した先に、なにか気づくことがあるのかもしれません。

また作る側からすれば、まずは、アーティストって大変だなあと(10周年の耐え難きを耐えのページを読んだからかもしれませんが)。

作る上でかなり議論を重ねて作っているように見えたのですが、そういう点で見習いたいというか、恥ずかしいというか、バツの悪さを感じました。これも、作品が日常化するほど見る、に通じると思うのですが、作品が自分のものになる前にアウトプットしているから?、バツが悪いのかもしれません(うまく言えていませんが)。

それと、ピカッの謝罪会見後の行動(違和感を違和感のままにせず、対話の機会を作って別な展開につなげる)は覚えておきたいです。困難に出会ったときにヒントになるような気がしました。