[展示] MOMATコレクション 9室・渡辺克巳「流しの写真屋」の見た新宿

東京国立近代美術館のコレクション展ではいつも写真展示のコーナーがありますが、5月15日までのコレクション展の「流しの写真屋」が気になり見にいきました。流しの写真屋とは、夜の盛り場をまわってポートレイトを撮影し翌日焼き付けた写真を届けて代金をもらう、という仕事だそうで、そのような生業をしていた人がいたのかと驚きました。

1941年盛岡で生まれた渡辺氏、1961年に写真家を目指して上京し、東條会館写真部に勤務。高度経済成長時代、急激に変貌する東京の中でもギラギラしていたという夜の新宿は特別で、1965年から新宿で流しの写真屋を始めたといいます。1970年代になると安価なカメラの普及によって流しは廃業するものの、亡くなるまで新宿を撮り続けたそうです(2006年他界)。コレクション展(9室)では1967年から1979年の間に撮影されたモノクロ写真20点を展示。プリントは全て2005年とのことです。

前にも見たことがある写真がいくつかありましたが、60年代、70年代の東京をテーマにした「TOKYO 1970 時代を挑発した9人の写真家たち」で見ていたようです(写真家の名前で検索した結果、この展示が出てきました)。この時は、他の写真家の作品展示もあったのですが、流しの写真屋という側面について触れられていたのかあまり覚えていません。ちなみに、この肩書きは渡辺氏が他界して2年後の2008年に開催された回顧展「流しの写真屋 渡辺克己 1965-2005」でも採用されており、この肩書きがあるのとないのとでは、写真の見え方が大分変わってくるように思いました。あえて書いておきますが、「流し」はギターなどの楽器を持って酒場を回ってはリクエストに応える形で歌を歌ったり、歌伴をしたりして代金をいただくことを生業としている人のこと。2008年の展示のウェブページをみると、流しの写真屋という肩書きは渡辺氏自らが名乗っていたようなので、本人のこだわりの上に付けた肩書きなのではないかと思います。

ポートレイトによっては、撮られている人の「こう撮ってほしい」という思いが感じられるものもあれば、これは渡辺氏が撮りたくて撮ったのかなと思えるものもあり、そんな違いを感じながら見ました。例えば、ヘア・メイクがバッチリなポートレイトからは「きれいに写りたい」気配が、コワいポーズをとった全身写真からは「コワそうに見えたい」気配が感じられ、積極的に撮ってほしいと思っているようにも思えました。一方で、スナップ的に軽い気持ちで撮られている写真もあり、撮影をお願いはされていなけれど撮影したような感じにも思えました。ポートレイトではないのですが、ジャズ喫茶ビレッジバンガードの店内や明け方の雑踏(都電の停車場?が写っている)などの写真は、今は見ることのできない東京が写っているせいか、こういう時代だったのかみたいな隔世の感があり印象的でしたが、実際のところはフィルム余りがあって埋めるために撮影したのかもしれません。

また、撮られている人のまなざしが優しい感じのものが多く、親しい人や家族が撮影したようにも見えました。流しの写真屋であっても顔見知りの写真屋さんだったのかもしれません。展示のテキストに一組200円(今だと1400円くらい?)で請け負っていたとありましたが、撮ってもらう側からすれば、自分のブロマイドを作ってもらうような感覚でしょうか。

ただ、なんかモヤモヤするのは、流しの写真屋に撮影してもらった写真が、写真家本人の個展であればまだしも、繰り返し展示される状況について撮られた人はどう感じているのか、についてです。2008年の展示のときのように、『ご本人やご家族が写真の展示を拒まれる場合はご一報ください』と書いておくことくらいしかできないとは思いますが、そのような努力はやらないよりはやった方がよいですよね。展示する側のそのようなポリシーなど参照できるのであれば読んでみたいと思うし、簡易でもよいのでレクチャーを受けてみたいと思ってます。
そんなことを思いつつ、「あゝ新宿―スペクタクルとしての都市 展」も見てみたいと思っています。