京都に住む女子高生の主人公アリサ。失恋した気持ちが吹っ切れて、新しい自分になれるよう神社でお願いをしていたら、現世に降臨というか現代人に憑依したニーチェがアリサの元にやってきて、アリサを超人にするべく対話を重ねて真理を追求していく、というトンデモで巻き込まれ体質な成長小説です。語り手アリサの思考の積み重ねがわかりやすくて、高校の倫理の授業についていけなかった私としては気負うことなく読め、考える上でのヒントとなりました。オススメです。
面白かったポイント
- ニーチェを始め、キルケゴール、ショーペンハウアー、サルトル、ハイデガー、ヤスパースの思想のエッセンスが一冊にまとめられているところ
- アリサ(初学者)と哲学者たち(エキスパート)との会話として綴られていているところ(理解しにくいところをアリサが質問して哲学者が答えたり、アリサが言い換えたり)
- 哲学者たちが現代人として生活している側面(スマホゲーム制作者、カリスマ読者モデル、ガールズバーのオーナーなど)
- 京都の観光スポット?と共に、グルメ?が紹介されているところ(詳しくなくて「?」ばかりで申し訳ない)
畜群道徳、奴隷道徳
ところで、哲学するキッカケ(三つの根源)が、驚き、疑い、喪失なのだそうですが、本の冒頭にハッとする驚きが二つほどあって、これがあったために読み進められたかなと思ってます。つまり…
ひとつは、善悪の基準は普遍的なのに、賛同者が多い意見が「よい」と反射的に思ってしまうケースが珍しくないこと。
二つ目は、生きることに執着してより強者であろうとすることが悪いことで、弱者(非利己的)であることがよいこととされること。
これらはニーチェの概念では、それぞれ、畜群道徳、奴隷道徳と呼ぶそうですが、思わず、あるあると思いました。
永劫回帰を受け入れる、死をもって生をみつめる
また、個人的には、猫の看取りを経験しているせいか、永劫回帰を受け入れろ(悪いことは繰り返し起こるが、もう無駄だと思わずに、受け入れて、新しい価値を創造するんだ)や、死をもって生をみつめる(いまここに存在するという意識を持っているのに、死ぬという重要なことを日々忘れて生きているが死は必ず来る。死が締め切りだとすると、死ぬ前は未完成な状態で、死の直前まで人生の意味は清算できない。死をもって完成する。だから、例えば、落ち込んだときに、人生もう終わりだと考えてしまうが、それはまだ清算する段階ではない)が腑に落ちました。
なぜ哲学?
ところで、この本、2016年に出版されたらしいですが、最近になって知りました。キッカケはニーチェの本を読もうかなと思ったものの何を読んだらよいのやらと思い、検索したところ、この本が出てきたのでした。では、なぜ哲学かと言えば、自分で考えていても答えが出ないことが多いなと気づいた時に、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というビスマルクの言葉を知り、歴史に学ぶべきである、そして哲学に関係した何かを読むべきと思ったのでした。
また、書籍の引用ですが、『人の話を聞くこと、本を読むことは、他人の頭を使って何かを知る行為。そこから持ち帰って、自分の頭で考えてみることで、自分の考えが生まれるもの。自分なりの答えを模索し続ける』ことを、大したことではないと思わないことが大事であることに気づかされました。つい、人の受け売りにすぎないのではなどと躊躇してしまうこともありますが、受け売りと受け売りのマッシュアップだったら新たに生まれたものなんだし、自信を持とう!と。
なお、ニーチェですが、参考文献にあった「道徳の系譜」から読んでみようかなと思ってます。
余談ですが、京大の総長ステーキカレーを食べるシーンがあったのですが、本当にそんなものがあるのだろうかと思ったら、あるのですね。大学カレー界のレジェンドと紹介している記事が掲載されているサイト「ほとんど0円大学」も初めて知りましたが、面白いです。
小説とコミカライズ版を紹介しておきます。