ちゃーの記録/その3

image

拾ったとき既にFIV陽性で腎不全であった猫、ちゃーの我が家での全記録です(2004年11月に書いたものを再録)

 


貧血とけいれん発作

HCT(ヘマトクリット)とは、血液全体に占める赤血球の割合であり、猫の場合24%から45%が正常値の範囲である。とはいえ、30%を切るのはかなり問題であるようである。ちゃーの場合は、退院後20%を上回ることはなく、通常20%を切ると輸血をしなければならないと言われている。ただ、輸血には大きいリスクも伴うので、状態にもよるが、16%まではこのまま様子を見ることにした。

前の年もそうだが、2002年も冬になると急にちゃーの調子が悪くなり、毎日皮下輸液をしているにもかかわらず、腎機能の数値が上がり気味になり、2003年1月13日にはBUN75.7、CREA3.74であった。さらに皮下輸液のせいでHCTも17.8%と18%を切ってしまった。数値を見て一喜一憂しても仕方がないのだが、たった0.2ポイント下がっただけでも18と17では非常に大きな差がある訳で、一気に下がらずに、真綿で首を絞められると言うには大袈裟だが、じりじりと16%に近づいていくのが非常に恐ろしく思った。

2月に入るとBUNは100を超えてしまった。貧血がすすむのがわかっていても、自宅での皮下輸液を止める訳にはいかない。それでも腎機能の数値は上がり続け、2月5日にはBUN121.1、CREA4.97となり、HCTもついに17%を切ってしまった。自宅で皮下輸液を続けていること、HCTがかなり低いこと、これらを考えると、入院して点滴治療を行っても、得られるメリットは少ないのではないかと病院からは言われた。

貧血がすすむと、普通に立っているつもりなのだろうが左右に揺れていて、おそらく本人的には相当フラフラしているのだろう。また、この頃、けいれん発作を起こすようになった。発作を見るのは非常につらかった。例えば、夜中に寝入っていても、目を覚ましてしまうくらいに、発作の音がすごく大きい。発作により横たわっている体が上下にはねるのである。その音は、まるで地震で家具ががたがたと音を立てて揺れているように聞こえ、はねている間は周りの者もどうしたらよいかわからず、手をこまねいて見るだけだった。

このまま発作と失禁を繰り返して、体を消耗させるよりは、たとえHCTが下がってしまうとしても、点滴治療で状態が良くなればちゃーにとっては、その方がいいのではないかと思い、2月7日に、入院して点滴治療をしてもらうようお願いした。10日に退院したが、しばらく昼だけ病院に預かって点滴治療を続け、様子をみることにした。

2月11日の朝にHCT18.5%あったものが、明くる日には13.8%まで下がってしまい、病院から昼に仕事場に連絡があった。さすがに輸血が必要であるらしい。ところで、動物の輸血については、人間のような献血の仕組みが構築されておらず、動物病院で飼っている動物に血液を提供してもらっているというのが獣医療の現状である。きれいごとを言う訳ではないが、我が家の場合はもう一匹健康な猫まーがいる訳で、といっても、まーとちゃーの血液があうかどうかはクロスマッチテストをしなければ判らない訳だが、こちらがドナーの提供を申し出ないで輸血してくれというのはどうなんだろうと悩まないこともなかった。さすがに院長には言えないので、副院長にそういうことを言ってみたものの、実際には院長が飼っている猫であるたけちゃんとさいちゃんにお世話になった。2月12日の夜、輸血が行われ、その後の検査ではBUN63.3、CREA3.59まで下がり、HCTは久しぶりに28.6%まで回復した。たけちゃん、さいちゃん、ありがとう。

転がる石のように

皮下輸液を続けることで赤血球濃度HCTが下がってしまうように、今度は肺に水が溜まってしまった。2003年2月22日のことであり、肺水腫と診断された。少し前から、変な咳をしておりレントゲンを撮ってもらいわかった。肺水腫が改善されたかどうかは憶えていない。それなりの対処療法は行ったが、腎機能の低下はどんどん進んでいった。3月1日、再度昼だけ入院して点滴治療をしてもらう。やはり点滴をすると状態は良くなり、3月4日BUNは98まで下がった。しかしその一方HCTが19.6%まで落ちてしまったので、点滴治療はこの日で中断した。この頃はちゃーもちょっとは元気だった。病院のスタッフが私が待合室で待っているところにちゃーを連れてきてくれ、私の座っているベンチにちゃーが飛び乗った。家では階段状の棚を駆け上がっていたので、私から見ればごく日常的な光景だったが、ケージに入っているちゃーしか見ていない病院の人たちからすれば高いところに飛び乗るちゃーを見たことがないわけで、ちゃーちゃんすごいねえと言ってくれた。

3月9日に血液検査をしたところBUNが振り切れてしまっていた。尿毒症と診断される。前の日に頻繁に吐くので病院に連れて行ったのだった。HCTは脱水症状のせいで24%と上がっている。この頃のちゃーのHCTはもっと低いはずなので、この二日間だけ自宅で一日300ミリの皮下輸液をするようにアドバイスされる。3月11日、未明から朝にかけ5回けいれん発作を起こす。再度入院となる。

入院したものの、これまで復活してきたような劇的な回復はなかった。3月16日退院したが、前の日の夜に発作を起こしたらしく、生きて飼い主に会わせてることが、そのときできるベストなことである、という程に状態は悪かったようだ。家に帰ってからも冷蔵庫を開けたときに流れてくる冷気で寒がってしまうほどに状態は悪かった。だが、生かして帰してくれたことには非常に感謝している。

3月18日夕方から雨が降り出した。最悪な状態ではあるものの、どうにか落ち着いていたちゃーだが、その頃から呼吸が荒くなった。夜には食べ物が飲み込めなくなり10時半にゴホっと言ったかと思ったら、こと切れた。

ちゃーには最後の最後まで頑張らせた。それがいいかわるいかは判らない。飼い主が諦めの悪い性格なので、最後まで付き合ってもらった。病院のスタッフにも最後まで付き合ってもらって感謝している。この日も、前の日から尿が出ないのでちゃーを連れて行き、尿を出してもらい、最後の血液検査をしてもらった。まだちゃーが元気な頃、院長が「この猫は多臓器不全になるまで生きると思うよ」と言ったとおり、最後は肝不全も起こしていた。また、こと切れてからも、飼い主としては死んでいるような気がせず、病院で心エコーで死を確認してもらった。

明くる日、動物の葬祭場で荼毘にふした。葬祭場では骨壺をどうするかとか、聞かれたが、一番シンプルなものにした。でも、キーホルダーにもなるカプセル(歯など小さい骨を入れられるもの)はつい買ってしまった。これは私が今も日々持ち歩いている。そして今ちゃーの遺骨は我が家の部屋の棚に安置されている。今いる猫もいずれちゃーの隣に落ち着くことになるのだろう、そのときまでちゃーちゃん、皆を見ていてくれ。(終)