思いつきで猫の短歌を作ってみたものの、続けてみようかなと思ってからは、さすがにこんなんでいいのだろうかとだんだん不安になってきて短歌関連の書籍を図書館から借りたりしました。
それがの上記の写真です。
現代短歌でおなじみの穂村弘氏、枡野浩一氏の書籍はとても参考になり、例えば、読者からの投稿短歌をあえて改悪してみせた例などからは、正しい文章で伝えることが面白味や余韻を含ませることに繋がるわけではないことなどを知ることができました。
それ以外の本だと、「偶然短歌 」(著:いなにわ、 せきしろ)が面白かったです。
こちらは、Wikipediaにある記述から、五・七・五・七・七の短歌のリズムになっている記述を抜き出したものを集めたもので、機械的に抜き出すプログラムまでもが書籍で紹介されています。
もともとTwitterアカウント・偶然短歌botとして投稿していたのをまとめた本のようです。
斉藤斎藤は、こちらのサイトで写生系短歌として紹介されていて興味を持ち、「人の道、死ぬと町」を借りてみました。が、内面系短歌が読むのにしんどくて途中で挫折してしまいました。
また、以下の2冊はなんとなく借りてみたのですが、意外と面白かったです。が、一度に10冊借りてしまい、ちゃんと読めてないので、もう一度借りようと思ってます。
「現代短歌作法」(著:小高賢)
短歌とはなにかが述べられていて、そんな風に考えたことがなかったので、覚えておきたいと思いました。また、短歌について歴史的な背景も含めて解説していてわかりやすかったです(和歌の時代から戦前、戦中、戦後について)。
「桜前線開架宣言 Born after 1970 現代短歌日本代表」(著:山田航 )
若い歌人の作品を編んだもの。著者も1983年生まれ。面白いエピソードだと思ったのは、著者が寺山修司で短歌を知ったので短歌とは若者の文化だと思っていた、というもの。
「現代短歌作法」が参考になったので、覚書しておきます。
◎短歌は定型であり、短文である
- 短文:瞬間に何かをいうことができる
- 短文:俳句より14文字分多いので、気持ちを直接的に述べられる
- 定型:短歌には人の感慨や情緒を均一のものにしてしまう類化力があり、入りやすいという利点の裏側の危険性でもある
- 定型:自覚しないとすべての作品がパターン化してしまう
- 定型:定型という支援によって、自分の中で言い終えたというカタルシスが生まれてしまい、思いを突き詰めきれないこともある
◎短歌は機会詩の側面がある
- 人は事件や、社会の変化、自然の推移に対して、怒ったり悲しんだり嘆いたりし、その感情を文字に定着したいと思う気持ちが短歌形式とつながる
- 戦争中は機会詩として戦争詠と呼ばれる短歌も生まれた(前線の兵隊だけでなく、著名な歌人も戦争を煽るような短歌をつくった)
- 戦後、短歌は第二芸術と呼ばれた時期もある
- いわく、同好者だけで特殊世界を作りその中で楽しんでいる芸事にすぎないと
- 実際に、湾岸戦争でもイラク戦争でも同じ歌い方になる傾向は否定できない(そうなんでしょうか?byねこやま)
- 多くの人が参加できる反面、みな似た作品に陥りがちになる
- それが短歌の特徴なのだから、逆手にとって作ればよい
にゃん歌も似た作品になりがちで、このようなことを自覚しながら続けたいです。もっとも、私の場合は、猫が三種類しかいないから、ボキャブラリー不足のせい、という理由もあるかもしれませんが(苦笑)。いずれにせよ、多読多作しないとダメなので、駄作であっても投稿し続けます。