(写真は筆者が以前撮影したものです)
大竹さん、畠山さんのそれぞれが主催するイベントにゲストとして招き招かれ、それが偶然にも二日続きの開催日と決まり、それからトークイベント開催までの間に東日本大震災が起こった、そんな経緯のお二人の対話は2012年1月にも行われ、対話の書籍化のためにさらに対話を重ねてできたのが、『出来事と写真』(赤々舎)。
先月に出た書籍の『出来事と写真』を読み、アーティスト畠山直哉ではなく、アーティストになる前の畠山さん、日々を生きる畠山さんという一面を知ることができ、読んでよかったと思いました。それ以来初めてとなる今回のトークは、参加者も多く、このような対話を望んでいる人はたくさんいるのだ、と思いました。
畠山さんの写真のスライドを見ながら進行したトーク内容を覚書しておきます。
メキシコ渡航について
畠山さんは2015年9月から半年あまり、文化庁のプログラムでメキシコに滞在していました。2015年9月はメキシコ大地震から30年を迎える時期で、当時の被災したメキシコの写真を撮影した方(マルコさん、雑誌プロセッソ)や畠山さんが登壇するシンポジウムがあったそうです。マルコさんはジャーナリスティックに社会と関わってきた写真家で、写真のジャーナリスティックな側面は写真の機能とも言えます。一方、畠山さんは写真とは何か、というような写真の本質を追求してきました。その辺りから、写真の本質と機能というテーマで対話が進みました。
※余談ですが、畠山さんがメキシコで撮影した写真は、資生堂ギャラリーで4月28日(木)から6月19日(日)まで開催される「椿会展2016 -初心-」で展示される予定とのことです(2016/8/1 リンクのURLを過去の展覧会ページに改めました)。
写真の本質と機能
このようなテーマは、3月27日の「未来をなぞる 写真家・畠山直哉」上映後のトークでも語られていました。写真とは何かという本質よりも、写真の機能性(このように言及はされませんでしたが、例えば、写真で元気になるといったようなこと?)にシフトしてきている現在において、おぞましいものが写っていても美しいと感じてしまった後に、震災の写真なのに美しいと感じてしまった後に、感じる後ろめたさはなんなのか、という考察などについて語られました。
また、写真集「ライムワークス」のあとがき(以下に引用)にあるように、
僕には、自分の記憶を助けるために写真を撮るという習慣がない。僕は自分の住む世界をもっとよく知ることのために、写真を撮ってきたつもりだ
芸術と人生は重ならないと思っていたのに、記憶を助けるために写真を撮らない、ということに意味がなくなった今についても語られました。
英語だと人生も暮らしも”life”なのに、どうして「人生」なんだろう?人生ってなんだろうね?という畠山さんの言葉が印象的でした。確かに人生とか生き様という言葉からは演歌調の響きを感じますが、私は畠山さんの陸前高田の写真から人生劇場風な響きは感じないと思うのですが。同じところから撮影した震災前の陸前高田と震災後の陸前高田の写真、見る人によってはそこに悲しみとか懐かしさを見出すのかもしれませんが、それぞれは写真を撮影した時(タイム)の光が描いたものであり、二つを見ることでその場所のタイムラインを想像することができる、そんな風に思いました(その間の、ということではなく、それ以前のタイムラインを想起させる、という意味です)。出来事全体の動きを撮りたい、という畠山さんのお話を聞くと、今後もタイムラインを想像することができそうで、とても楽しみです。
畠山x大竹トーク
トークショーに参加すると、ときには進行者が進行できてない、ゲストに語らせっぱなし、進行者が突っ込まないという状況があり、見ているこちらがハラハラすることもあります。今回は、さずがに何度も対話を重ねてきた間柄だけに、壇上の空気感がピリピリしていなくて、お二人とも自由に、遠慮なく意見を言い合っていたのが素敵でした。また、何度も対話を重ねてきたという理由だけでなく、大竹さんが聞き手としてスペシャリストだと思いました。書籍の対話と同様に大竹さんの進行が小気味よいのです。終演後のサイン会では大竹さんに「続けてください」とお願いしましたが、そうお願いしたのは、おそらく私だけではないはず。
得たもの
震災後の陸前高田のスライド(200枚くらいのループ)を見ていたら、あーこれはアレかもしれない、と震災前の姿を想像できた写真がありました。もしかしたら私の思い込みかもしれませんが、私なりにタイムラインを想像することができ、いわば、写真と対話している実感が得られました。実は、記事の最初の写真は宮城県の波伝谷で撮影したものです。畠山さんの写真スライドを見ている際に、この写真を撮った場所やそのとき何を思ったかが蘇りました。見ることと思い出したことから、畠山さんの写真には写っていない過去の姿が脳裏に立ち上がるような感じでした(具体的に語らなくて読んでいる人は何のことだかわからないと思いますが、説明したくないので書きません)。
これも畠山さんからよく聞くことですが、言葉を写真に添えるのは邪道だということはなく、言葉の用い方が問題にされるべき、ということ。写真も説明的な要素を省いた方がよいように、添える言葉も説明的にしないよう私も今後は心がけたいです。
ロンドンのキュレーターに気仙川の写真を見せたら私は語れないと言われた話、「未来をなぞる」のトークイベントで初めて聞いて以来、何度も聞いている話で、キュレーターこそ語らなくて誰が語れるんだよと思いました(大竹さんは辛辣に「それは怠慢だ」と語っていました)。これには後日談があり、その方もその後イギリスでのトークイベントに来て質問するなどしてるとのこと。これは嬉しく思いました。
写真集「気仙川」はどうしてあのようなレイアウトになっているのかということが聞けました。写真集作成の前に展示でのスライドが先にあり、あとがきのつもりで文章を書いたら長くなってしまい、そのまま使うことになり、グラフィックデザイナーの案であのような最終形になったとのこと(絵日記+暗転(暗ではないですが)+写真)。写真集は写真を撮った人だけのものではないのですね。