[映画] SELF AND OTHERS

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写真家・牛腸茂雄が1977年に自費出版した写真集「SELF AND OTHERS」。大辻清司の教え子の一人である牛腸茂雄の名前は知っていたものの写真集を見たことはこれまでありませんでした。今年に入り、ドキュメンタリー映像作家の佐藤真が同名のタイトルで牛腸茂雄に関するドキュメンタリーを作っていたことを知った時はとても驚いて、写真集と映画のDVDをすぐに買い求めました。
家で数回見たものの、見たという確実な記憶が残っていないような、変な感想しか持ち得なかったのですが、3月に『日常と不在を見つめてードキュメンタリー映画作家・佐藤真の哲学』という単行本が刊行され、その記念特集上映会「佐藤真の不在を見つめて」で映画「SELF AND OTHERS」など全作品が上映されるというので、見に行きました。上映もその後のトークも見てよかったと思えるものでした。この上映会は毎回盛況だったようで、ゴールデンウィークには神戸での上映もあるようです。

映画は、写真家の死から17年過ぎた2000年に制作されました。本人はいない、本人が住んでいた建物もない、被写体として写真集に収められた人もおそらく見た目が違っている、そのような「不在」を表現せざるを得ない状況で、映画は写真家が見た風景を追いかける映像が多く、地と図の関係で言えば、写真集では「地」であった風景を「図」として描いているところが面白いと思いました。

実は、上映会後のトークで地と図についてゲストの保坂和志さんが語っていて、ようやく気づいた次第。保坂さんが語っていたように、「地を地だって言っちゃうと面白くない」というように、説明的な描写は無く淡々と描いているあたりに作家の思いが感じられるような気がします。

ネタバレ的ですが、映画では牛腸茂雄作品は作品そのままの状態で、写真集「SELF AND OTHERS」の図になった人は写真集同様にモノクロの静止画で、写真集の地はカラーの動画で描かれています。つまり映画のために撮影した映像には人物が出てきても動いておらず(あるいは、声だけ)、映画に引用されている牛腸茂雄の映像作品では写っている人物は動いているので、過去(牛腸作品)と現実(佐藤作品)の境界が曖昧で不思議な感じがしました。

そのような動画や静止画がちりばめられた映像に、牛腸茂雄が書いた手紙のナレーション(西島秀俊があまりにもピッタリ)、関係者の声、写真家自身の肉声がかぶり、目で見る不在とは対照的な音声の生々しさが忘れがたい印象を与えています。

『声のトラウマを反芻することなく、彼の写真をみることはもはやできない』という飯沢耕太郎氏のテキストでも触れられていますが、あの肉声は何かに使おうと思って録音したのでしょう。「もしもし、きこえますか。これらの声はどのようにきこえているんだろうか。」というつぶやきは、よく言われる写真と鏡では自分の顔が違うと思う心理と共鳴しているようでもあり、これもまた「SELF AND OTHERS」的な解釈ができるのではないかと思いました。そのような映像作品の構想など写真家にはあったのではないのかなあと思わずにはいられませんでした。

◯関連サイト
映画SELF AND OTHERSサイト
http://www.cine.co.jp/works1/selfandothers

佐藤真が牛腸茂雄について関心を持ったきっかけについての記載あり
http://homepage2.nifty.com/ARARYU/sub1a25.htm

山形国際映画祭の刊行物の佐藤真監督インタビュー(SELF AND OTHERSについて触れている)
http://www.yidff.jp/docbox/25/box25-1-1.html