映画「未来をなぞる 写真家・畠山直哉」が1月30日から2月12日まで横浜シネマリンで公開されています(14:50からの上映のみ)。畠山容平監督の舞台挨拶のある初日に行ってきましたが、見たのは今回で三度目でした。初めて見て以来一年が経とうとしているので、その間のこちらの印象の変化なども含めて書き留めておきます。
なお、2月27日から3月4日まではユジク阿佐ヶ谷にて上映が、3月27日(日)には、東京・原宿のVACANTにて映画の上映とトークイベント(ゲスト:畠山直哉、畠山容平、聞き手:菊竹寛)があります(14:30開場、15:00開演)。
ところで、皆さんは同じ映画を何度も見たりしますか?私の場合は、見て気に入った映画だったらDVDを買って数回見る程度、あるいは昔見た映画が再上映される場合に懐かしさで映画館に行く、などでしょうか。さすがに何度も映画館に足を運ぶことはありません。この映画の場合は、最初に見た時の「これは数回見ないとダメかもしれない」という直感に従って見続けています。そのように接していると、見る度に新たに気づくことなどあり、これは自分にとって面白い経験になっています。
この日見た際には、「未来をなぞる」というタイトルがどこから来たものなのか気になりました。上映後の監督のトークでは、映画の中にも出てくるドローイング作品(畠山直哉氏[以降『写真家』と記す]が作ったカメラオブスキュラで得られた像をなぞって完成させたもの)から「なぞる」の着想を得たこと、また「未来」とは、十年、二十年というスパンではなく、数年先の「未来」であること、を聞くことができました。
カメラオブスキュラで得た像を定着させたいという思いから誕生した写真機(カメラ)ですか、考えてみれば「なぞる」はカメラが持っている性質です。「未来をなぞる」とは、故郷陸前高田をカメラでなぞることで、今はまだ眼前にない未来の方角を探ろうとしている、そのような写真家の姿を一言で言い表しているのかもしれません。そう思って考えると、映画のタイトルからは、写真家の講演をまとめた書籍「話す写真 見えないものに向かって」をどうしても連想してしまいます。前者は監督の言葉、後者は写真家の言葉なのですが。
また三度目にして気づいたのは(気づくのが遅いのですが)、監督の眼差しです。映画を見ていてとても印象に残りました。映画には、写真家の言葉がたくさん出てきます。仕事場でカメラを前に話す姿、講演の様子、震災後の陸前高田で町の人と話す姿、それらをブツ切り的につないでいるのではなく、見ている人にじっくり聞いてもらえるような見せ方になっていると思いました。映像もじっくり撮るというか全体をとらえている感じがして(特に最後の方で写真家が愛宕山の上から気仙川の方を撮影しているシーン)、まるで見ている私が写真家のうしろに居るような気になりました。
話は変わりますが、この日は、横浜でバスカメラ(バスが暗箱になっていて、乗りながらカメラオブスキュラの中を体験出来るもの)のイベントが開催されていて、映画を見た後にバスカメラに乗ってみました。車中に投影された外の風景は三次元的に見えて(スクリーンは当然平面なのですが)、目の前からどんどん逃げて行く像をつかみたいという衝動にかられました。少しだけカメラの本質に近づくことができたような気がしました。
■関連サイト
映画「未来をなぞる 写真家・畠山直哉」公式サイト
http://www.mirai-nazoru.com/
こちらのサイトにて、2015年2月15日の3.11映画祭でのトークイベント書き起こしが紹介されています。
http://www.mirai-nazoru.com/diary.php
書籍「話す写真 見えないものに向かって」の書評
執筆された方は大阪のIMI(アートスクール)で写真家の授業を受けていた方で、書評に出てくる「知的興奮」は私も書籍から体感しました。
ちなみに、監督もこちらの学校の出身。
http://shadowtimes.hatenablog.com/entry/2015/07/17/151615