[展示] 畠山直哉写真展「陸前高田 2011-2014」

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銀座ニコンサロンでの写真展、同会場でのフォトセミナー、雑感についてまとめます。

写真展について

畠山直哉が2011年の東日本大震災で被災した故郷、陸前高田を撮影し、まとめられたのが写真集「気仙川」であり、2012年に発表されました。その後も撮影は続き、今回の展示は、2011年3月から2014年12月までに撮影された写真から60点あまりをセレクトしたものでした。

震災前に作家が個人的に撮影していた写真と被災後の写真で構成された「気仙川」は、日常を震災が非日常に変えてしまったことを生々しく提示するものでした。その流れで今回の展示を考えると、日常を取り戻すために非日常の姿が変わっていく様子を提示するものと言えます。しかし、同展のフォトセミナーでも言及されていたように、かさ上げのためのベルトコンベアー、大型トラック、沿岸に長大な波板状の鉄柵などの写真をみると、非日常性が一層増していて、スケールがあまりにも大きい土木工事が私の想像を遥かに超えていることに気づきました。

畠山氏はこれまで、石灰石鉱山やセメント工場の写真を20年に渡って撮影するなど、同じテーマで長期にわたり取材を重ねて撮影するという制作をしています。これまでの仕事ぶりから推測すると、おそらく陸前高田も同じように連作化するのではないか、そう思いました。artscapeの同展レビューでも

この街の歴史と、畠山の個人的な記憶・体験とが、分ちがたく溶け合っていくような「サーガ」として成長していくのではないだろうか(飯沢耕太郎のレビュー)

とあるように、陸前高田の連作の今後を私も気にかけたいと思います。

展示でも紹介されていましたが、2014年までの撮影は5月に写真集「陸前高田 2011-2014」としてまとめられるそうです(2015年3月29日に鑑賞)。

畠山直哉×伊藤俊治フォトセミナー

話はさかのぼりますが、

映画「写真家 畠山直哉 未来をなぞる」

上映後のトークで、畠山氏が語ったことがずっと気になっていました。ヨーロッパでの「気仙川」の展示の際に、イギリスのキュレーターで畠山氏とも親しい間柄の人から、私はこの写真について語れない、と言われたとのこと。震災後に国内外の多くの写真家が被災地域を撮影し写真集や写真展で発表している今日において、キュレーターこそ語ってよ、と思うのは私だけでしょうか。尤もこのキュレーターも2015年の現在では語れるのかもしれませんが。

4月6日のフォトセミナーの冒頭は、上記を連想するもので、以下のとおりに震災直後のことから振り返るものでした。

2011年3月以前に決まっていたことだったそうですが、畠山氏の個展が東京都写真美術館で2011年9月に開催されました。震災の年の5月には故郷気仙町の震災前後を対比させる写真を新聞紙上で発表する機会を得た畠山氏は、写真展開催前に担当学芸員に震災前後の写真展示のコーナーを設けたいと打診します。その時の学芸員の当惑した様子は今も覚えているとのこと。被災から半年はまだ早いのか、アーティストとしての一貫性はあるのか、など学芸員として咄嗟に思ったのかもしれませんが、畠山氏の言うところの、アートとの関わりよりも世界との関わりを大事にしたい思いが、写真美術館での震災前後の写真展示に繋がることとなりました。フォトセミナーでは、上述の、世界との関わりを大事にしたい、に加え、発表しないのは写真家として卑怯な気がした、という畠山氏の覚悟も窺い知れました。

ところで、ニコンサロンで展示されていた写真の中に、虹が掛かっている風景写真がありました。3月29日に観た際には、虹を撮るなんて珍しいのでは、と思ったのですが、フォトセミナーではこの写真に対して、この虹が掛かっている先に私の実家があった、と説明されました。それを知った瞬間に風景写真がそれまでとは違った意味を持ってしまう。そのような写真を畠山氏は「パーソナル・ランドスケープ」と位置づけ、当面の課題と捉えようとしています。

ところで、パーソナル・ランドスケープであるはずの景色は、2013年あたりから見つけにくくなったと言います。懐かしい山が低い土地をかさ上げするために標高120メートルのものが60メートル(だったか?)まで削られ、その土を運ぶために3キロメートルのベルトコンベアーが造られるなど、パーソナルな景色であるはずなのに、見たことがない新しいものへと変わって行っていると言います。

また、強調していたのは、写真と言葉の問題(言葉で情報が与えられたときに見え方ががらっと変わる)があってもいい、写真に言葉がついていて何が悪いんだという立場(言葉が不要な写真がいいのだというオブセッションがかつてあった)、の2点でした。
言葉がついていて何が悪いという立場とは別に、見えない形でかわされる言葉的なものもまた存在していて、例えば、誰かがこれは美しいと言ったから美しい、ということになってしまう状況は気をつけないといけない、そんなことにも気づかされました。

雑感

実は、映画「写真家 畠山直哉 未来をなぞる」を観て以来、畠山氏のことを猛烈に知りたくなり、インターネットや図書館などで書物をあたりました。映画上映会場で少しだけ見た「気仙川」で、過去の写真集「ライム・ワークス」に書いた一文(『自分の記憶を助けるために写真を撮るという習慣がない。自分の住む世界をもっとよく知ることのために、写真を撮ってきたつもりだ』)を紹介していていましたが、それに触れたことが、猛烈に知りたくなったキッカケです。このような一文を書く人が今どのような思いで制作と向き合っているのだろうか、これはちゃんと調べないといけない、と思ったからです。

以来、過去の作品(LIME WORKS、Blast、Underground)も写真集などで拝見しましたが、何よりも畠山氏が講演会などのトーク11本を書き起こしたものをまとめた書籍「話す写真」が大変参考になりました。その上で「気仙川」を改めて見て、何か一貫したものの見方があるように思え、そういう仕事ぶりに感動しました。これまで一貫して『都市の問題と関わってきた』と称される畠山氏ですが、畠山氏が写真を勉強するようになってから、故郷にあった石灰石鉱山(都市を造る材料のセメントになる)をたずねて撮影許可を依頼したことなどを知ると、制作のテーマは実は身近なところにあるものかもしれないと気づいた次第です。

データ
2015年 ニコンサロン特別企画展 Remembrance 3.11 畠山 直哉写真展
会期:2015/3/25 – 2015/4/7
2015/4/6 18:30-20:00 畠山直哉×伊藤俊治 フォトセミナー開催