横浜美術館のコレクション展で観た写真。写真展示室入り口すぐの金村修の「Keihin Machine Soul」という繁華街を撮ったモノクロの連作に圧倒されました。
ところで日本の繁華街にありがちな身も蓋もなさを撮る人は結構いますが、最初の頃はへえっと思ったりしたものの、今では何も思わなくなっていました。そんな状態でこれら連作を観たのですが、こういうことだったのか!ともの凄く腑に落ちました。
うまく説明できないですが、他の繁華街写真とは説得力が違うんです。町という生命体を感じるというか、店と店、看板と看板はそれぞれ関係があるわけでもないのに、わざとそういう町を作った訳でもないのに、そこから生まれたアート(というか、ぐちゃぐちゃ)があるのが判るような写真でした。写真の組み方もそう感じさせるのかもしれません。
ところで、なぜこの展示を観に行ったかというと、写真家米田知子の阪神淡路大震災から10年後を撮ったシリーズが展示されていることを偶然知り、それが観てみたかったからです。兵庫出身の米田氏は、過去に大きな出来事があった場所にこだわって制作を続けています。災害をジャーナリスティックではない視点で捉えることとはどういうことなのか、そんなことを最近はモヤモヤ考えています。
そのモヤモヤは、映画「写真家 畠山直哉 未来をなぞる」(陸前高田を撮り続けている畠山直哉を追ったドキュメンタリー)が発端なのですが。モヤモヤとは関係がないものの、畠山氏の写真の先生が大辻清司で高松次郎のインスタレーションを撮影していた、など知ると、もうちょっと調べておきたいのです。