あいちトリエンナーレ2019/中止している展示を再開して欲しい

8月10〜11日(土日)に、あいちトリエンナーレに行ってきました。思えば2016年のトリエンナーレで岡崎・豊橋に行った時に「なんだこの世界は!」と感じ、見えない何かに掴まれてしまいまして。まあ冷静に考えると、私的に見知らぬ場所である土地や展示会場の強度をスペキュタクラーとして受け取っただけかもしれませんが。また、今回のテーマ「情の時代 Taming Y/Our Passion」のステートメントを読んだ時に「そうそうそう!」と強く惹きつけられて、これは早めに行きたいと思い上述の日程でひとまず行くことにしたのでした。

そんな風にとても楽しみにしていたので、一部の展示を巡る諸々には萎えました。と同時にウェブメディアやSNSで得た情報に私自身が振り回されてるのも残念で、まさにトリエンナーレのテーマの通りに、情で情を飼いならすことの難しさを痛感しています。

実際に作品を色々みてみると、今回のテーマにぴったりと感じる作品がいくつもあって、

  • 一つ一つは感情に訴えかける何かでも俯瞰で見ると見え方が違う
  • 見えている部分は氷山の一角かもしれない
  • ローストしてなくてもローストビーフはできる(そのままですが笑)

などなど刺激を受けました(作品については別途書きます)。

私が行った時は「表現の不自由展、その後」中止を受けて、3作品の展示が中止されていました(8月22日時点では中止や一部改変が12作品)。その一つイム・ミヌク「ニュースの終焉」の閉鎖された展示室の扉に貼られていた作家のメッセージが以下です(英文の部分が見切れてしまった)。

これを会場で読んだ時、作家の本気度というか強い思いを感じ、同意だなと思いはしたのですが、それだけでして、おそらく他人事にしか思っていなかった節があります。と思ったのは昨日以下のようなことがあったからなのですが。

昨日、『「表現の不自由展・その後」中止事件を考える』というシンポジウムが文京区であり、行ってみました。そこで不自由展その後の作家の一人が、作家の表現の自由だけでなく来場者の見る権利も奪われている、という主旨の発言をされました。来場者としてそんな風に考えたことがなかったので、ちょっとショックだったのですが、私の権利意識がなさすぎなのでしょうか。

ちなみに、イム・ミヌク「ニュースの終焉」紹介ページを見てみると、『国家の枠組みを超えた共同体が持つ可能性や、個人の潜在的な連帯の力を探求してきた韓国を代表するアーティストの一人。』とあり、これは是非とも見たかったです。

上の画像のメッセージに『安全の名目で不法なテロや圧力に屈することがないように願い』とありますが、安全の名目について昨日のシンポジウムでも触れられていました。つまり、セキュリティ意識の高揚が昔と今で大きく違っていて万が一の割合がとても大きくなっている、とのこと。万が一何かが起こったら大変だから中止する、これは、万が一隣国が攻めてきたらどうするんですかというように、不安と恐怖を利用する国家と同じになってしまうのではないかと(ちょっとニュアンスが違っていたかもしれません)。

万が一何かが起こったらなどと言われると、何も言えなくなりますよね。だって、直接的に私ができることはないから。だとしても、不自由展その後やそれ以降の一時中止作家の作品を私は見たいんですよ。20日から中止した作家の中には私が実際に見て他の人にも見て欲しいと思ったものもありました。というか私よりも作家の方が見て欲しいはずなのですが、抗議として閉鎖している状況をどうにか打開できるよう願っています。

 


話は逸れますが、権利意識で見つけた記事。じっくり考える余地ありと思いました。