対話型鑑賞術に参加して・鑑賞をナビゲイトした振り返り

対話型鑑賞術に参加して・鑑賞をナビゲイトした振り返り

2日目は対話型鑑賞術の実践。8人のグループで8作品を対話型鑑賞し、各自1作品につきナビゲーター役を務めるという実践でした。鑑賞して、ナビゲーションして得たこと、感想などを振り返ってみます。

ナビゲーターとは?

  • 鑑賞者が「みる、考える、話す、聞く」を回すのを助けるのがナビゲーター
  • 作品の中には、客観的事実(Fact)と主観的解釈(Truth)が混在する場合があるが、それを整理しながら対話を進めるのが大事
  • そのため、基本的な問いかけとしては、どこからそう思うか(Factを引き出す)、もっと考えられることはあるか(可能性を探る)、そこからどう思うか(Truthを引き出す、FactとTruthを統合する)
  • その他には、言い換え(パラフレイズ)、焦点化(フォーカシング)、鑑賞者の話している部分を手で示す(ポインティング)も大事

いかに見ていないかに気づかされた(鑑賞者として)

ぱっと見、不機嫌そうな子どもを描いたように思える絵画。目つきが不機嫌そう、口になにかついているのでしゃべれないから不機嫌そう、くらいしか思いつきませんでしたが、鑑賞者の一人が指が描かれていないことに気づき、その後、髪の毛で隠れているけど耳もないだろう、全身が描かれていないけど足はどうなっているのだろう、どこにも行けないのでは、と見えないものへの意見が続いたのが面白かったです。指が描かれていないという一つの指摘がヒントとなると、視野が広がることを実感しました。

また、不機嫌な表情、言えない、聞こえない、行けない状況は何を象徴しているのかを考えると、今の日本に閉塞感を感じている日本人という漠然としたものが頭に浮かんだのですが、それってつまり自分の状況を絵画を通して見ているんじゃないの?と思うと、恐ろしくなりました。自分自身を整理整頓せよ!ということでしょうか。

鑑賞したのは:キャンディーブルーナイト(奈良美智)

 

絵画の謎に迫れて面白かった(鑑賞者として)

風景をバックにした巨大な自画像の風景部分、パリ万博を象徴するようにエッフェル塔や万国旗が描かれている、日の丸風なのが多い、上の方の雲にも日の丸のようにみえる、など意見が出た後で出てきた意見が「日の丸が描かれている雲って日本列島にみえる」。ミステリー読みすぎな私は内心、画家は国際スパイだったのではないかと思いました(笑)。

それ以外にも、船が大きくて橋をくぐれない、建物の屋根の煙突が多いのは何故か、風景の左右で左が情報量が多くて右が少ないなど、見れば見るほど謎が増してきて、何か暗号が隠されているのではないかと思いたくなりました(やはりスパイ…)。

これらの気づきは、なぜこのように描きたかったのだろうという疑問につながり、答えがでないまま数日経っても思い続けています。万博、気球など時代の最先端なものを取り入れるという点では、後の未来派にも共通するものがあるなあと、今更のように気になっています。

鑑賞したのは:風景の中の自画像/私自身、肖像=風景(アンリ・ルソー)

 

作品解釈の新たな発見に立ち会うことができるかも(鑑賞者として)

真ん中に黄色い椅子が描かれている絵画、椅子の上にはパイプとタバコの葉。背景右側にドア、左側に箱のようなものが置いてあり、ドアの蝶番の様子から椅子の方にドアが開くことがわかるが、椅子が邪魔してドアが開けられない… 室内に古びた椅子、寂しそう、誰かの不在を感じる、パイプはいなくなった人のかも、そんな意見に続いてでたのが「室内って言ってるけど、ドアは玄関で玄関前に椅子が置いてあるようにも見える」。これには痺れました。

これまでの研究によれば、室内を描いたものとされているそうですが、本当は屋外なのかもしれませんよ。

そして、室内だと寂しそうな印象ですが、屋外と考えると、絵画で描かれていないこちら側には道があるかもしれず、人が行き交い、椅子に座ってパイプを片手にそれを眺め、隣人と世間話をする、そんな日常にも見えてきました。

個人的には、こういう180度違う見え方ができるものが好きで、例えば部屋の床や天井の隅を見ていると凹んでいるのに、凸にみえることがありますが、そういう一人遊び的要素がいいのですよね。

鑑賞したのは:ファン・ゴッホの椅子(フィンセント・ファン・ゴッホ)

 

ナビゲーターを体験して

事前に調べられるだけ調べておいた方がいいですね。やらなかったのですが、それゆえ、ナビゲーター中は、とっても焦りました。

また、鑑賞者の意見を聞いていてパラフレーズしようと思っても、聞いているうちに鑑賞者の言葉を忘れてしまうことが多かったです。これは場数を重ねるしかないのかなあと思います。

それと、本質を突かれたら早めにネタばらしした方が良い気がしました。どういうことかというと、私の場合は写真作品をナビゲイトしましたが、若く見える被写体の二人がカップルなのか、実は母と息子なのか、あるいは撮影の年代が実は戦前なのではなどの意見がでました。その意見が純粋に面白いのでつい聞きたくて聞いてしまいましたが、私はFactとして判っているので、そのような意見が出たらただちにFactを明かした方が、不毛な議論を続けることなく次の議論に行けるので良いのかもしれない、と終わった後で気づきました。

他のナビゲーター役の方の意見ででたものですが、大人の場合は鑑賞して終わりではなく、できれば作品にまつわることを紹介できると鑑賞者のためにもなるので、やはり事前に調べておいた方がよいですね。

 

対話型鑑賞をこう使いたい

自分にとってわからないものに出くわした場合に、ある程度時間をかけて考えようとしてもやっぱりわからないと諦めてしまうことが多々あり、ここ1年ほど自分自身驚いています。遅い思考ができにくいのであっても、対話型鑑賞を通して自分とは違ったものの見方が様々あることを会得していきたいです。

いくつかの病気(それが重篤ではないにせよ)を抱えている老人(親)を見ていると視野の狭さに驚くことが少なくありません。こういう風に考えたらいいのにと思っても、ストレートに言っても伝わらないのですよね。対話型鑑賞で学力を伸ばす、観察力を磨くことができるのかもしれないと知ると、対話型鑑賞はどんな人にとっても為になるのではと思うのです。仮に為にならなくとも、少なくともFunではあるし。そんな積み重ねをしていきたいものです。

 

1日目の振り返りは↓

対話型鑑賞術に参加して・講義内容振り返り