映画「写真家 畠山直哉 未来をなぞる」

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2014年より3.11映画祭が開催されています。第二回目の今年はアーツ千代田3331にて28本の映画が上映されました(2月21日より3月14日まで)。「写真家 畠山直哉 未来をなぞる」は映画祭プレイベントとして、2月15日に上映されました。また7月にシアター・イメージフォーラムでの上映が決まっているそうです[*1]。

畠山直哉については、この映画を観るまで、その存在に気づいていませんでした。著名な写真家であるらしいのに知らないことが多すぎる、そう思いながら映画を観に行きました。陸前高田の出身で、2011年の東日本大震災で実家が流され、母親が亡くなるという状況におかれた畠山氏。この映画は、写真家と縁のあった監督、畠山容平(同姓ですが、ご親戚ではないとのこと)が震災後に写真家ととある仕事で再会したのがキッカケで撮影したドキュメンタリー。写真家は震災後は一ヶ月に一度は故郷を訪れ写真を撮り続けていて、作品にもまとめられており、個展で、また写真集として発表しています。しかし震災が終わってはいない現在、写真家も変わり続ける故郷を撮り続けており、映画からもそのような写真家の様子を感じることができました。

映画には、陸前高田で写真を撮る様子以外にも、故郷の人たちから話を聞く様子、東京の仕事場で写真を現像する様子などが収められていますが、一番印象に残ったのは写真家の言葉です。故郷の道を車で走っている時に写真家が述懐する、親がいい大学に行かせようと都会の大学に行っても故郷ではそのような大学での教養があまり必要とされていないんだよね、という写真家の言葉には、私自身がモヤモヤ感じていたことの一つに気づかされた思いでした。

また、本来ならば発表するはずのなかった震災前に故郷で撮ったスナップ写真には、震災前と後では写真の持つ意味が違ってしまうことを感じました(後述のトークショーでも言及されていましたが)。例えば、写真家の母親がカメラを持って防潮堤かなにかに腕をついて、川の方をファインダー越しに見ているのを横から写真家が撮影した写真は、以前であればおばあさんがカメラで楽しんでいる可愛らしい写真だったかもしれません。が、今はもうこの人はいないのだと思うと同時に、何か遺影のようにも思わされてしまいました。

終映後に、写真家、監督、3.11映画祭ディレクターのトークショーが行われました。心に残るというか、考えさせられたことはたくさんありました。個人的に自分なりに考え続けたいと思うのは、このような震災や災害の写真との向き合い方(大袈裟な言い方ですが)です。トークショーでは、芸術や文学は何百年、何千年という歴史があるのにも関わらず、このような災害を語る語彙はまだ足りていない、との意見がありました。漠然と感じていたモヤモヤが多少言語化された気がしました。

(これは、2015年3月に書いたものです)

 

追記:

[*1]
シアター・イメージフォーラムでの上映は2015年8月15日より9月18日まで、でした。