高松次郎「不在への問い」を読んで(2/3)ー20世紀初頭以降の絵画の変革ー

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抽象絵画が誕生した20世紀初頭以降の絵画の変革において大きな問題は、以下の2つであると高松次郎は言います。

  • ルネサンス以来の遠近法や明暗描写を無視し、本来平面である絵画のその平面性を重視
  • 物語性や説明的要素を排除して造形性を純粋に追求

その背景を探ろうとしたのですが、調べ切れておらず、インターネットの情報をそのまま覚書として書いておきます。書籍「不在への問い」で紹介されているヴィルヘルム・ヴォリンゲルの「抽象と感情移入」(1908年出版、日本では1953年出版)によると、以下のような芸術の歴史と20世紀初頭の背景があるようです。

芸術作品の制作や享受の原理に、自然主義として現れる感情移入と様式として現れる抽象の二つを見て、歴史的にエジプト美術で抽象に基づく制作・享受の原理が先行し、その後にギリシアでの感情移入による芸術が続き、次いでビザンチン芸術やイスラム文明の移入によって再び抽象が主導権を得て、ルネサンスにおいて感情移入の芸術が主流に立って二十世紀に到るという

当時終末的ともいえる、政治的・経済的・芸術的混乱と不安の中で活動を続けていた表現主義の人達は、不安と恐怖を芸術活動の動因としたヴォリンゲルの理論に共感し、自分たちの活動の理論的・精神的根拠を見つけたと言える。

(出典:amazonカスタマーレビュー

最初の抽象絵画はカンディンスキーによるもので1910年頃とされているようです(出典:wikipedia)。南北戦争終結の1865年から第一次大戦勃発の1914年までにも様々な戦争があり、1905年にはロシア第一革命が起こるという世界の動きがあり、ヴォリンゲルの論を参考にすれば、そのような社会的な不安や恐怖を経て抽象絵画が生まれた、ということになるかと考えられます。

一方、19世紀半ばより写真が広まるのですが、社会的な背景の他に、写真の発達も絵画に影響を与えたのではないかと個人的には推測しました。見たものをそのまま写し取ることができる写真とは違う道を歩もうとして抽象に向かったのではないかと思い、調べてみましたが、絵画と写真がそれより前から影響をし合って変化してきたことが判りました。

写真は1840年代のヨーロッパで肖像写真という形で熱狂的に広まり、その後のクリミア戦争、南北戦争では、今で言う報道写真も登場しました。当時は写真撮影をする写真師と写真技術の科学者とが同じくくりで扱われていました。それに対して芸術としての写真を目指す者たちは不満を持ち、ピクトリアリズムという呼ばれる絵画のような作風の写真が誕生しました。ピクトリアリズムは1885年頃から流行し始め20世紀初頭にピークを迎えました。その後1910年頃に、写真を絵画とは独立したものととらえ、写真本来の特性を重視するストレートフォトグラフィという表現手段が生まれました。

写真のピクトリアリズムの誕生前夜には、絵画の分野では印象派と呼ばれる画家たちが活躍しています(第一回印象派展が1874年)。印象派は、写真のように正確な再現(模写)をするのではなく、画家の目に映った自然を主観的に描こうとするもので、19世紀末の新印象派、ポスト印象派、フォービズム、キュビズムの先駆けとなったということです(出典:wikipedia)。

個人的には、写真で遠近感のある風景などが撮れてしまうと、絵画の作家としては似たようなものは作る気になれず、写真では追求しにくい絵画の平面性を求める人もいたのか、と思わないでもないです。また、社会的な不安や恐怖がある時に抽象衝動が生まれるのであれば、20世紀からずっと今も抽象の時代になるのだろうかと考えたりしますが、現在における芸術活動の位置づけなども判っていませんでした。自分なりに、20世紀以降の芸術の動向を追っていきたいと改めて思います。以下のテキストなど参考になりそうな気がします。

限界芸術の現代

 

意図して配置したものでなくとも、切り取られたものを見せられると、意味めいたものを見つけようとしますよね。人間の癖でしょうか。最初の写真も以下の写真も同じ電信柱を撮ったものです。

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